NHKニュース(2025年11月5日午前4時43分)で、「世界最古級の『おしろい』か 中東の約4000年前の古墳で発見」と報じられました。
発見されたのは、世界遺産にも登録されているバーレーンの古代文明「ディルムン」の「アアリ古墳群」です。副葬品とみられる二枚貝の内側から、おしろいとして使われていた「ラウリオナイト」と呼ばれる人工の鉛化合物が検出されたとのことです。
約4000年前といえば、紀元前2000年ごろで、日本では縄文時代にあたります。
日本でおしろいが文献に登場するのは、692年(持統天皇6年)です。『日本書紀』には、奈良の元興寺の僧・観成(かんじょう)がおしろいを作り、天皇に献上したところ大変喜ばれたと記されています。観成は渡来僧で、おしろい(鉛白)の製法を学んでいたとされています。
これ以前にも多くの渡来人が日本に来ていたことから、実際にはもっと古くに伝わっていた可能性もありますが、文献上で確認できる最古の記述はこの『日本書紀』です。
おしろいは当初、高貴な女性に限られて使われていましたが、江戸時代になると庶民にも広く普及しました。白・黒・赤の三色化粧に欠かせない存在となり、日本女性の美意識を象徴するものになりました。
しかし、鉛を精製して作るおしろいは、人によってアレルギー反応を引き起こすことがあり、まれにアナフィラキシーによって重篤化し、死亡する例もあったといいます。
鉛製おしろいの危険性は古くから指摘されていましたが、製造が中止されたのは昭和9年(1934年)になってからです。ちょうど、日本の化粧文化が白・黒・赤の伝統的三色化粧から、西洋風のメイクアップへ移り変わる時期でもありました。掲載した写真は、昭和初期のものです。洋風のファッションはまだ奇異の目でみられていました。女性の洋装化は昭和10年前後から、メイク、ヘアと同時にすすみました。
令和の現在でも、舞妓さんや芸者衆は日本古来の三色化粧におしろいを用いていますが、もちろん鉛を含まない安全な成分に改良されています。
それにしても、おしろいの歴史は驚くほど古いものです。古代バーレーンのディルムン文明だけでなく、古代エジプトや古代メソポタミアでも、ほぼ同時期に高貴な女性が化粧としておしろいを使っていたことがわかっています。

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