2024-10-07

厩戸皇子の「ひさごはなの髪」

 蘇我馬子が物部守屋を攻めたとき(587年)、曽我軍に参加した厩戸皇子(聖徳太子)は「ひさごはなの髪」をして味方を鼓舞した、という話が『日本書紀』にあります。

髪結、女髪結の「見立て番付」はないけれど、、

 江戸時代後期、文化・文政期以降になると、相撲の番付を模してさまざまな商売や名物を序列化する「見立て番付」が大流行しました。