「婆娑羅大名」として有名なのは、室町幕府の樹立に貢献した佐々木道誉(ささき どうよ)と土岐頼遠(とき よりとお)です。
佐々木道誉は婆娑羅の代表格であり、華麗な衣装や振る舞い、美術への深い造詣でも知られています。
一方、土岐頼遠は公家の邸宅に乱入したり、京都で騒動を起こしたりするなど、奔放な行動で知られました。
「婆娑羅大名」や「婆娑羅武士」は、時代の転換期である南北朝時代に登場したとされます。旧来の価値観にとらわれず、奔放で過激な行動をとり、ときには乱暴狼藉を働く一方で、派手な衣装に身を包み、華美な振る舞いをするのが特徴でした。
その背景には、社会の変革期における既存の権威への反発があり、常識や慣習を無視した極端な行動様式が見られました。
婆娑羅武士が好んだ服装は、身分や季節の慣習を無視したもので、豪華絢爛さが最大の特徴です。衣服には、金糸や銀糸を織り込んだ金襴や緞子(どんす)といった高価な織物を多用しました。これらは本来、公家や大寺院でしか許されない贅沢品であり、武士が日常的に身につけるのは異例のことでした。
また、季節に合った色や素材を用いるという公家の伝統も無視し、夏に袷(あわせ)を着たり、逆に冬に薄物をまとうなど、奇抜な着こなしを好みました。
当時、男子の装いとして烏帽子の着用が定められていましたが、婆娑羅武士はその形式にも反発しました。烏帽子を極端に長く高くしたり、異様な装飾を施したりして、故意に格式を乱した形でかぶったとされています。髻(もとどり)についての明確な史料は残っていませんが、烏帽子を固定するために立髻をしていたと考えられます。
さらに、婆娑羅武士たちは異様な姿で集団行動を行い、「風流(ふりゅう)」と呼ばれる派手な仮装や、奇抜な配色・装飾で都を練り歩くなどの示威的な行動をとりました。特に佐々木道誉は、装飾を施した馬を連ね、都大路を華やかに行進したという記録が残っています。
「婆娑羅大名」「婆娑羅武士」は、古代の貴族社会から中世の武家社会へと移り変わる時期に登場しました。価値観の大きな転換期であり、やがて下剋上の戦国時代へとつながる前触れでもあります。歴史の転換期は、風俗の転換期でもあったのです。

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