2020-12-01

日本最古の櫛は鳥浜貝塚から出土

 鳥浜貝塚(福井県)から出土した漆塗りの櫛(写真)が、日本では最古の櫛です。それまでは山内丸山遺跡(青森県)から出土した櫛が最古とされていて、以前別の媒体で紹介したことがあります。新しい発見とともに歴史は変わるものです。



山内丸山遺跡は紀元前5900年~同4700年ごろまで続いた遺跡で、櫛は同5000年ごろのものとされています。鳥浜貝塚は同1万2000年~同5000年ごろまで続いた遺跡で、櫛は同6000年ごろに作られ使われていたのではないかとされています。


紀元前6000年ごろといえば、縄文前期に区分される時代です。そのころには櫛が作られていたというのは驚きです。もっとも考古学の世界では、櫛に漆が塗られていたことから、すでに漆を作る技術があったことに驚いたようです。重要文化財に指定されていますが、漆塗に対する評価からかもしれません。

山内丸山遺跡の櫛は赤色をしていますが、ベンガラか朱とされています。


また鳥浜貝塚の櫛は、横櫛に近い形状ですが、山内丸山遺跡の櫛は縦櫛です。同じ日本列島でも場所によって、違った文化が興っていたのがうかがえます。


現在のホモサピエンス・サピエンスといわれる新人が出現したのは約4万年前とされています。いつごろから髪の手入れをするようになったかは、想像するしかありませんが、1万年前ごろには、道具を用いて髪の手入れをするようになったのではないかと思います。


櫛の前は、一本の棒きれです。後の世では笄といいます。

平安時代の宮中の女房は髪を長く伸ばしていましたが、プライベートな生活の場では長い髪では何かと不自由なので、髪を巻き上げて一本の笄、棒切れで止めていました。用があって呼ばれたときは棒を外せば、長いおすべらかしに戻ります。

さらに後の江戸時代にはこの笄を使った髷が登場します。笄髷です。江戸後期には複雑な笄髷が登場し多様化しますが、本来は笄一本で留めた髷のことです。


山内丸山遺跡からは笄として使われたと思われる道具が出土し、同遺跡のホームページにヘアピンとして紹介されています。


遺跡からはいろいろなものが出土します。当時の人が食べた動物の骨なども出ますが、鶴などの鳥の足の骨が混じっています。貝殻と同様、食べかすとして扱われています。しかし、鳥類の足の骨の中には、笄として使われたものもがあるのではないかと想像しています。

笄として使われていた骨なら、おそらく表面が他のものより平らになっていると思います。数千年の時が経て、その違いがわかるかどうか?


笄の前は?

手櫛で髪を整え、蔓など植物で結っていたかもしれません。あくまでも想像の世界です。


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