2025-08-20

「髪結」の誕生は? 月代剃りとの深い関係

 江戸後期に版行された『嬉遊笑覧』(喜多村信節、文政13年/1830年)には、髪結についての記述があります。

「いま理美容師、むかし髪結、もっとむかしは『御うちぎ』『御髪番(おぐしばん)』」(https://kamiyoroku.blogspot.com/2025/08/blog-post_16.html)でも、『嬉遊笑覧』をもとに紹介されていますが、平安時代の「御うちぎ」という職は、高貴な人物に仕える髪結を意味しています。


喜多村信節が指摘しているように「古へは民間には髪結などいふものはなく、みなみづから結へるなるべし」とある通り、一般の人々はセルフ、あるいは家庭内で髪を結っていたと考えられます。では髪結がいつ頃登場したのかというと、彼は「後世便利に随ひて、さるもの出来し也」と記しています。「さるもの」とは髪結を指しており、具体的な年代は明言していませんが、「世の中が豊かになり、民間人に余裕が生まれてから髪結という職業が現れた」と推測しています。


日本において髪結が民間に広まったのは、江戸時代前期の17世紀ごろです。黎明期は戦国時代末期の16世紀末ともいわれますが、市井に普及したのは17世紀に入ってからでした。背景には「月代剃り」が深く関係しています。


月代は戦国時代には武士や一部の足軽にも行われていました。当初は「けっしき」と呼ばれる大型の毛抜き道具を使い、前頭部から頭頂部の髪を抜いて月代にしていました。しかし、織田信長が剃刀での月代を推奨したことで、剃刀による月代が普及したと伝えられています。


けっしきは毛を力任せに引き抜くため、誰でも扱える一方で、強い痛みや出血を伴いました。剃刀ならそうした苦痛は避けられますが、セルフで行うのは難しく、大けがの危険もありました。そこで、月代剃りを専門に行う髪結が増え、月代の習慣化とともに髪結という職業が定着したのです。


髪結の仕事は月代剃り、髷結い、顔剃りに大きく分けられますが、その起源は月代剃りにあったといえるでしょう。


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「髪結」の誕生は? 月代剃りとの深い関係

 江戸後期に版行された『嬉遊笑覧』(喜多村信節、文政13年/1830年)には、髪結についての記述があります。