いま理美容師、むかしは髪結。髪結は中世末から江戸時代に活躍しました。髪結の前は?
「御うちぎ」と呼んでいた、と喜多村信節が古い書籍をひもといて『嬉遊笑覧』に記しています。「髪ゆひ、天子の御ぐしあぐるものを御うちぎといふ」
『枕草子』、『源氏物語』などの出典個所も同書に掲載しています。
喜多村信節は「御もとどり御びんにまいる人は紫のきぬの直衣を着て、伺候する御うちぎの人といふなり」と解説しています。
出典文献から平安時代の天皇の御かみあげについての話です。冠を装着する天皇は立髻(冠下の髻)に結っていました。紫のきぬの直衣(のうし)を着る人は高貴な公家です。天子の御ぐしをあげる「御うちぎ」は天皇の身近に仕える高貴な公家と喜多村信節は推測しています。
時代は下って江戸時代になると、将軍の髪を結い月代を剃っていたのは、「御髪番(おぐしばん)」と呼ばれる旗本でした。将軍に近侍する旗本出の御小姓や御小納戸から選ばれ、毎朝将軍の髪を結っていました。
明治期に出版された『旧事諮問録』で、江戸時代後期に御小姓頭取を務めた竹本要斎が、御髪番は6、7人いたと証言しています。
天皇と将軍という偉い人を対象とした髪仕事です。
ヒトが集団して共同体の社会を形成するようになり、上下関係がうまれるようになると、偉い人の身近にいる人が髪を整えるようになったのは想像できます。同様に、偉い人の食事や衣服など身の回りの世話を行う人がいたはずです。
「事始め」が話題になることがありますが、理美容や飲食などに関しては「わかりません」ということになります。
しかし、一般の人に対して、料金をとってサービスを提供するようになった時代は、おおよそ推定されています。
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