ユリウス・カエサル(ジュリアス・シーザー、紀元前100年頃〜同44年)は、共和政ローマ末期に活躍した政治家・軍人であり、文筆家としても世界的に知られています。
数々の戦争に勝利し、内乱を制し、政治・社会改革を断行したことは歴史の教科書にも詳しく記されています。『ガリア戦記』や『内乱記』などの著作があり、文学的才能にも恵まれていました。
そんな偉大な人物である一方、クレオパトラとの関係や、最期が暗殺であったことなど、後世まで話題の尽きない人物でもあります。そして、もうひとつよく知られているのが、カエサルが薄毛に悩んでいたという点です。兵士や市民から「ハゲの好色漢」と陰口を叩かれることを非常に気にしていたと伝えられています。ある意味、とても人間味のある偉人だったといえるかもしれません。
カエサルの薄毛は、前頭部から頭頂部にかけて進行し、側頭部と後頭部には毛が残る典型的な男性型脱毛だったようです。後世に制作された塑像は伝記などの記述をもとにしているといわれています。彼は薄毛を少しでも隠すため、側頭部に残った髪を中央に寄せて前方へ流していました。このシンプルな薄毛隠しの髪型は「カエサルヘア」とも呼ばれているそうです。また櫛で梳かす「コームオーバー」という言葉は、このヘアスタイルがもとになったといわれ、現代でも使われています。
また、親しかったクレオパトラから毛生え薬のレシピを教えられたという伝記もあります。おそらく、薄毛を揶揄されていることを彼女に打ち明けたのでしょう。そのレシピは、すりつぶしたネズミ、馬の歯、クマの油、骨髄、そしてハチミツを混ぜた軟膏のようなものだったとされます。カエサルが本当に試したのかは不明ですが、もし使用したとしても効果は疑問だったかもしれません。
毛生え薬は洋の東西を問わず存在し、日本でも江戸時代後期の『都風俗化粧伝』(佐山半七丸)に「玄洞真人シン生散」など、いくつかの毛生え薬のレシピが紹介されています。クレオパトラの薬が動物性だったのに対し、日本の薬は植物性の材料が中心である点は異なりますが、いずれにしても効果のほどは「?」が付くものばかりだったようです。古今東西、男性にとって薄毛対策は重要な課題だったわけです。
カエサルの「コームオーバー」と聞いて思い出すのが、大勲位を受章した某元総理大臣のヘアスタイルです。彼も側頭部の髪を反対側へ流して薄毛を目立たなくしており、当時は「すだれ頭」と揶揄されていました。
偉人であっても薄毛を隠すことに懸命になる姿は、第三者から見ると滑稽に映ることもあるのかもしれません。しかし、現代は多様性の時代です。中高年男性の薄毛は個性の一つであり、嘲笑や揶揄の対象にするべきではありません。

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