獣毛が体毛へとかわったことにより、ヒトの生活は変わりました。
ヒトにしろ猿にしろ子供が成長するまでには時間がかかります。しかし、猿は子猿が母猿の獣毛にしがみついて、母猿は自由に移動することができ、餌を摂ることができますが、ヒトはそうはいきません。
ヒトの母親は赤子を抱きかかえて面倒をみなくては育てられません。子の養育に専念する母親の行動は制約されます。その結果、父親は子と母の食料を調達しなければならず、夫婦を単位とした家族が子孫を残すために必要になります。
獣毛を失うことで、家族がうまれ、さらにいくつかの家族があつまり小集団を構成し、やがてムラになり、小さなクニを形成していったのだと考えられます。
また、獣毛を失うことで暑さを防ぐことが可能になり、脳を守り、脳の発達を促しましたが、その反面寒さには弱くなりました。
毛皮を身にまとっても、狩猟に遠出した先で一夜を過ごすとき、天候の急変なので凍えることがあります。火を起こしただけでは耐えられないとき、お互いに身を寄せ合って寒さをしのいだはずです。残された女たちも同様です。
21世紀は多様性の時代です。LGBTも広く受け入れられる社会になりましたが、LGBTもその原点はヒトの毛の喪失にあったのかもしれません。
獣毛の喪失は、後の人間社会の形成に大きな影響を与えた、と想像(妄想に近い?)するのですが、いかがでしょう?
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