2025-09-12

歌舞伎『髪結新三』の元ネタ事件と髪結の描かれ方

 古典に登場する髪結といえば、式亭三馬の『浮世床』に登場する鬢五郎と、通称『髪結新三』(正式題名『梅雨小袖昔八丈』/河竹黙阿弥)の髪結新三がよく知られています。

鬢五郎は如才ない人物として、また部分的には作者・式亭三馬の分身的な存在として描かれています。一方、新三は上総無宿出身で入れ墨を持つ前科者の小悪党という設定です。


『浮世床』は江戸後期の文化10年(1813年)から文化11年(1814年)にかけて刊行されたのに対し、『髪結新三』は明治6年(1873年)6月、東京・中村座で初演された歌舞伎の演目です。


『髪結新三』は材木問屋・白子屋を舞台にした、ある意味で情痴話ともいえる作品です。登場人物は多彩で、殺人や情死といった事件が絡み合い、複雑な筋書きが展開します。小悪党の新三は最後に侠客・弥太五郎源七に殺されてしまいます。物語はその後も続き、最後は町奉行・大岡越前守による「大岡裁き」で幕を閉じます。


黙阿弥独特の七五調のせりふ回し、江戸の町人生活や犯罪をめぐる人間模様の巧みな描写が光る本作は、物語としての魅力が非常に高く、明治6年の初演以来、令和のいまも歌舞伎の定番演目の一つとして上演され続けています。


その理由の一つは、主人公・新三の人物像にあります。彼は粋で大胆でありながら、どこか人間味を感じさせる悪党として描かれており、演じる役者の個性を引き立たせる存在です。このため、時代ごとの人気役者が新三を演じることが多いのです。


なお、『髪結新三』の背景には、実際の事件が存在します。大岡越前が町奉行を務めていた享保12年(1727年)11月7日の出来事として、『武江年表』(斎藤月岑)は「新材木町白子屋庄三郎養子又四郎妻くま、ならびに手代忠八刑せらる」と記しています。


事実は『髪結新三』の複雑な筋書きとは異なり、きわめて単純です。又四郎の妻・くまと手代・忠八は密通し、又四郎を殺害しようとしたものの失敗に終わりました。その結果、くまは死罪、忠八は獄門に処されました。この事件は当時広く知られた話であったと『武江年表』は記しています。

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