値段交渉の末、「おまへはほんとう。こっちは嘘よ」(原文のまま)と言い残して去っていった櫛吉に代わって、鬢五郎の髪結床にやってきたのは、股引姿の男でした。
「お寒うございます」とお愛想を言いながら、「アイ、まだ出てきませんか」「ハイハイ、さようなら、また今度」と床をのぞき込んで鬢五郎に声をかけただけで、すぐに立ち去っていきます。式亭三馬はト書きで、「油の垢買いのようで、カゴをかかげて走り去る」と記しています。
この男は、髪を梳いた際に櫛に付着する垢まみれの鬢付け油を買いに来た、もしくは譲り受けに来たと考えられます。垢油が何に使われたのかは定かではありませんが、何らかの目的があっての行動だったことは確かです。来てはみたものの、もらい受けるほどの量がなかった、ということでしょう。
江戸時代は、あらゆる物を大切にし、使い切るのが当たり前でした。利用できるものは何でも再利用しました。良い例が糞尿の買い取りです。近郊の農民が町家や屋敷、長屋を訪ねて買い取り、大家にとってはちょっとした小遣い稼ぎになったといいます。
思えば、戦後の昭和の混乱期にも似たようなことがありました。物資が乏しい時代、理容店で出た髪の毛を買い取る業者がいたと、ある古老の理容師が話してくれました。集められた髪の毛は、アミノ酸醤油の原料として販売されたそうです。髪はタンパク質でできているため、そんな用途があったのかと驚きました。
髪の毛は、実に多様な用途で活用できます。現代ではアミノ酸醤油は適していないかもしれませんが、髪の毛は油分を多く含むため、タンカー事故で原油が流出した際の吸収材としても用いられます。近年では「ヘアドネーション」として社会貢献にも役立てられています。
とはいえ、あの垢油はいったい何に使われていたのでしょうか——。
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