日本古来の和剃刀は、西洋で使われている両刃の剃刀とは異なり、片刃であるため比較的研ぎやすい特徴があります。素人でも、剃刀の斜面側を砥石に当てて研げば、切れ味が戻るといわれています。
江戸時代には、夫婦者であれば妻が夫の月代を剃り、少年がいればその中剃りを行うのが一般的でした。髪結床の世話になるのは、独り者や、髷にこだわる洒落者、通人といった人々でした。
しかし中には、剃刀を上手に研ぐのが苦手な女将もおり、そのような人は、懇意にしている髪結床に剃刀研ぎを頼んでいたようです。そうした情景が、式亭三馬の『浮世床』に描かれています。
『浮世床』では、床主の鬢五郎(びんごろう)と、床にたむろする暇人たちがどうでもよい話を交わしている場面に、剃刀箱を持った丁稚が現れます。そして、「鬢さんにご無心ながら、ご面倒でもこの剃刀を研いでおくんなせえと、おかみさんからのお頼みです」と、剃刀研ぎを依頼します。鬢五郎は「おかみさんのご無心なら早速承知せずにはなるめえ。ちょっと待ってな」と、快く引き受けます。
この丁稚は、髪結床の障子を開けるとき、「六つむらさき、七つ南天、八つ山ざくら…」と数え歌を口ずさみながら入ってきます。『浮世床』の中では、暇人たちもそれぞれが知っている数え歌を披露して盛り上がる場面が描かれています。
やがて剃刀を研ぎ終えた鬢五郎は、「小僧さん、剃刀をやろう。なんぞおいしいものがあるのなら押しかけ客に参ります、とおかみさんにいっといてくれ」と、研いだ剃刀を箱に収めて渡します。すると小僧は「‥ぶらヤアイおゝし。」(原文のまま)と言い残して帰っていきます。なんとも不思議な小僧です。
鬢五郎とおかみさんは、日頃から懇意にしている間柄であることがうかがえます。剃刀研ぎが苦手なご婦人たちは、髪結床や、腕の良い知人に頼んで剃刀を研いでもらっていたのでしょう。
冒頭で「日本古来の和剃刀」と述べましたが、正確には剃刀は大陸から伝来したものです。仏教の伝来とともに、日本に持ち込まれたと考えられています。
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