「尺も短く。寸も長きあるは。」という一文から始まる『柳髪新話自序』には、江戸の髪結床や流行の髪型、さらには中国・清の剃頭店についての記述が登場します。
百人いれば百種の髪型があり、同時に百人いれば百人それぞれに癖がある――それこそが「浮世の人情」であり、式亭三馬の描く「浮世床」なのです。
この自序の中で三馬は、自らを「退屈しのぎに、短き才で、長物語を記す」と自嘲気味に紹介しています。彼の筆致からは、当時の庶民生活や風俗をユーモラスに描き出す、独自の視点が感じられます。
興味深いのは、清の時代の剃頭店についての記述です。自序では「唐山」と書いて「もろこし」と読ませていますが、これは清王朝の辮髪文化を指しています。清の時代、征服者である女真族が漢民族に辮髪を強制し、そのための頭髪処理を行うのが剃頭店でした。
『浮世床』が書かれた19世紀初頭には、こうした清国の文化が日本でも知られていたことがわかります。三馬は自序の中で、「子どものように髪が少ないのを喜ぶ毛唐人(清の人々)」と、「髪が厚くて野暮だと嫌がる日本人」を対比しています。ここで使われる「かかあ梳ね(たばね)」という言葉は、原文では「媽媽梳」と書かれ、ルビがふられています。
江戸時代前期の17世紀後半になると、男性の髪型として月代や丁髷が定着し、日常の手入れは家庭内で行われていました。所帯持ちの男性であれば、妻が髪を結い、月代を剃るのが一般的でした。したがって、髪結床を利用するのは主に独り者やおしゃれに敏感な者だったのです。『浮世床』に登場する客人たちも、こうした人たちです。
一方、三馬は清国の男性たちは家族が頭を剃るセルフケアを「粋だ」と喜んでいた、と描いています。これが事実かどうかは定かではありませんが、三馬が描いたのは、異文化の違いを皮肉とユーモアで包み込んだ風刺だったのかもしれません。
まさに「尺も短く。寸も長きあるは。」のとおり、世の中は一様ではありません。人も文化も、髪型一つとっても千差万別。その多様性を、式亭三馬は『浮世床』を通して語りかけているようです。
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