平成7年は昭和100年になります。終戦後80年、戦争をテーマにした話題が多い。
戦争で徴兵された理髪師は、衛生兵の任務にあたることが多かったらしい。兵役を経験した理容師さんの話です。衛生兵になるのは、理髪師のほか仕立屋、靴職人、時計職人などが選任されたという。非力で指先が器用そう、というのが、その理由らしい。なんとなく納得できます。鋏、針、ピンセットは普段から持ち慣れているとはいえ、治療は別物のような気がしますが、大丈夫だったのでしょうか?
戦後の昭和時代に聞いた話で、宴席でたまたま隣席だった理容組合の某支部の支部長だった人です。ニューギニアに派兵され、無事に帰還した人です。
衛生兵は二人一組になってタンカを持って戦場を駆け巡りますが、気がつくと、目の前に敵兵が塹壕からこちらに銃口を向けている。撃たれると思った瞬間、敵兵は手を左右に振って、「邪魔だ、どけ」のジェスチャーをして、命拾いしたそうです。
その時、はじめて戦場で救護にあたる衛生兵は撃ってはいけない、というルールがあるのを知った、といいます。「そういう国際ルールを教えないで、戦場に送り込むのはひどい話だ。汚いやり方で勝っても価値はない」、そういってました。
敵兵は当時、ニューギニアを植民地にしていたオランダの守備兵だったかもしれません。緒戦は勝ったものの、軍の上層部からは見放され、部隊は棄兵となって少数の集団で自給自足の生活を送ったそうです。
日本軍は、強制労働を強いられていた地元民にとっては、ある意味、解放軍だったようで、見捨てられた日本軍の自給自足生活を何かと援助してくれた。その支部長は、自給自足生活の体験を面白おかしく語ってくれましたが、戦後80年、先の不幸な大戦を面白おかしく語っては不謹慎といわれそうな雰囲気です。
そういえば昭和10年代の戦争真っ盛りのときに、配給品だった木炭を隠し持って木炭パーマをかけに美容室に女性が列をなしていたことも禁忌な話なのかもしれません。
冒頭、理髪師は衛生兵の任務を任されることが多い、と一理容師さんの体験談を紹介しましたが実際のところはわかりません。その理容師さん、「平和はありがたい。平和でなければ理容の仕事はできない」とつくづく言ってました。
*戦前は理髪師、戦後は理容師と名称は変わりました。
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