2024-02-11

『幕末百話』の「瓢箪床」と『一銭職分由緒書』

 篠田鉱造さん(1871-1965)の著作に、『幕末百話』『明治百話』『幕末明治女百話』『銀座百話』など一連の百話シリーズがあり、『髪余禄』でも何回か紹介しました。今回は『幕末百話』(増補版、岩波書店、岩波文庫)より、髪結頭、髪結統領についての推察です。

『幕末百話』に「浮世床 ちょんまげ話」があります。このなかに「九段の百貫床」という小見出しで、幕末に著名だったと思われる髪結床二床が紹介されています。

一つは百貫床の異名をとる九段中坂にあった「いかり床」です。髪結賃が28文の幕末の当時、一日に百貫稼ぐのは江戸府中でもこの髪結床だけ、と書き記しています。一貫は千文なので、相当の稼ぎがあった。一文100円として計算しても膨大な金額になりますが、百貫には「かなりの数量」の意味合いがあり、たいそう稼ぐ髪結床と形容しているようです。


もう一つの髪結床として芝赤羽根の「瓢箪床」を紹介しています。この「瓢箪床」が今回のテーマです。

『幕末百話』を引用すると

…芝赤羽根に瓢箪床というのがあって、公儀普請--公儀で家を下すったもんです、その代わり御成の時には、ここへ詰懸けたものなんで。税はない代わり(後にはそうでもない)種々役目、火事に駆け付けるとか、高札を護るという掟がありました。…


江戸の髪結床は17世紀中ごろには一町一株制になり町内自治に組み込まれます。町名主の采配で髪結床を普請し、床主にふさわしい髪結を選び髪結床を任せるのが普通ですが、公儀普請の瓢箪床は珍しい。よほど公儀から信頼されていたか、徳川家とゆかりのある髪結が床主だったのではないかと思われます。


将軍、もしくは将軍に準ずる偉い人が御成のときは、この瓢箪床に寄って髷を整えたようです。将軍が町の髪結に髷を任せることはありません。そこらの髪結とは格が違う髪結だったと考えられます。


この瓢箪床は当初は無税だったようです。地子や鑑札の札銭、冥加金などは無縁の特権髪結でしたが、後に収めるようになったらしい。


町内自治に組み込まれた髪結床は、いろいろな課役を担っています。火事のときの駆付け人足役はよく知られていますが、髪結床の場所によって、高札守、橋の見張り役、囚人の月代剃りなどいろいろあります。瓢箪床は高輪大木戸にあった高札を見張る番役があったのかもしれません。


また、髪結床は町の自身番に準じた役割をすることもありました。千を超える町があった江戸では、町もいろいろあり、自身番のない町もあり、その場合は髪結床が床番屋として自身番の機能を担っていましたし、一町一株制とはいっても髪結床のない町もありました。


さて話は、この由緒ありそうな瓢箪床についてです。

髪結職の由来を書いた『一銭職分由緒書』に、髪結職の祖である采女之介の子孫(北小路繁七郎)が芝口の海手あたりで髪結仕事をしていたところ、徳川家康を助けた褒美を貰った、と記されています。慶長8年(1603)のこととされてます。

「芝口の海手あたり」は、瓢箪床の赤羽根に近い。いまの赤羽橋(東京都港区)あたりです。


17世紀初頭は、江戸の町の建設が盛りのころで、赤羽根は江戸の入り口にあたり、ここで髪・月代を整える人も多かった。赤羽根は髪結の仕事をするには絶好の場所でした。

褒美は青銅千疋となっていますが、その青銅貨で髪結床を建てたのかもしれません。もしかしたら、その後公儀普請で髪結床を頂戴したのかもしれません。あくまでも想像です。


もっとも『一銭職分由緒書』によると、采女之介の子孫はその後、神田三河町に引っ越したことになっています。采女之介の直系の子孫は引っ越しましたが、もしかしたら采女之介の子孫の一人が赤羽根の髪結床を引き継いで、幕末まで続いたのかもしれません。


髪結の床屋株を藤次郎株(藤二郎株)と呼ぶこともあります。神田三河町に引っ越した采女之介の直系子孫が北小路藤次郎を名乗り、その後、代々藤次郎の名跡を世襲していたのかもしれません。

『一銭職分由緒書』は享保改革で、髪結の頭が公儀に提出した書ですが、その当時、髪結頭として世襲の北小路藤次郎が存在していた?


職によっては、頭がその仕事の職人や親方を采配します。采配するのはずべての町、あるいは関東全域など広域な場合もありますが、町内自治に組み込まれた髪結は町名主の采配だった可能性が高い。髪結の頭が配下の髪結から鑑札の札銭を集め鑑札を手配するようなことはなく、町名主が手配していたようです。


『一銭職分由緒書』と『幕末百話』の「浮世床 ちょんまげ話」、どこか関係がありそうですが、いまの段階では「かもしれない」話に過ぎません。新たな史料の出現に期待。


『幕末百話』は、篠田鉱造さんが明治になって、幕末を生きた古老らにヒアリングしたことを書き記したものです。「浮世床 ちょんまげ話」は髪結や髷に詳しい古老からの聞き書きですが、取材先の古老についての記載はありません。


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