2023-01-21

おちゃない 再び

「おちゃない」は、抜け落ちた髪の毛を拾い集める女性の仕事で、室町時代に現れました。

室町時代になると武家が勢力を伸ばし、公家が支配してた荘園を奪い、公家は経済的に困窮するようになります。公家の女性は日々の生活に追われるようになりました。


公家の女性は髪を長く伸ばし大垂髪をしていましたが、大垂髪では日々、活動するのには不向きで、髪を短くせざるを得ませんでした。しかし、宮中儀式があるときは、儀礼にのっとり大垂髪の姿が求められました。そこで、登場したのがかもじです。4,50センチほどの毛束のかもじをいくつかつなげ、地毛に結んで、即席の大垂髪にして儀式に臨みました。


かもじを作るには毛が必要です。おちゃないが落ちている毛を集めて、毛を梳いて毛束に結んで、かもじを作りました。

「おちゃない」は、「落ちていないかねー」からきた職業名といわれています。道端に落ちている毛を探したわけではなく、「落ちていないかねー」と声をかけながら家々を廻り、各家が集めた毛を買い求めたと考えるのが妥当です。抜け落ちた長い毛が売れると知ると、家々でも毛を集め、おちゃないが来るのを待っていたかもしれません。


公家の女性相手の仕事なので、京の周辺だけの仕事だったと思われます。女性の仕事として、おちゃないは歴史的にも早く登場した仕事の一つです。


おちゃないという仕事は江戸時代まで続いきます。

おちゃないが現れた室町時代は、毛束のかもじを作っていましたが、単純な作業なので、おちゃないが毛の収集からかもじの製作までやっていました。


江戸時代になると、単純なかもじのほかにいくつかの作業工程が必要なかつらが登場し、分業化します。毛の植え付け職人、結髪職人などの専門の職人が分業して製品を作りました。おちゃないは毛の収集に専念します。

分業がいつごろから行われるようになったかは不明ですが室町時代中ごろから戦国時代にかけて分業化していた可能性が高そうです。


江戸時代のおちゃないは中高年の女性や老婆が多かった。家々に声をかけて毛を集めるのがおちゃないの由来ですが、江戸時代はもっと効率よく毛を集めていました。

寺の住職と結託して、死人の毛を抜くことが横行していました。これなら大量の毛が簡単に入手できます。おちゃないは懇意の住職へに付け届けをして、死体から毛を奪う便宜を図ってもらっていました。


いまの感覚では不気味で恐ろしい。しかし、江戸時代といまとでは死体観がまったく違います。江戸時代、死体は物扱いの面がありました。処刑された罪人の身体を刀の試し切りに使うなど、死体に対する尊崇の念は感じられません。


おちゃないの所業は川柳などからうかがえることですが、江戸時代のおちゃないの女性がすべて死体から髪の毛を採取してわけではありませんし、すべてのお寺がおちゃないと懇意にしてわけではありません。


おちゃないは女性の仕事として評価される一面もありますが、実態はかなり不気味な存在だったのかもしれません。室町時代のおちゃないも遺棄された死人の髪を奪っていたかもしれません。埋葬の習慣が庶民にまでいきわったのは江戸時代からで、室町時代は下々の死体は野ざらし、また行き倒れた人も少なくなかった。


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