2022-06-03

髪結床の大暖簾

 髪結床というと大暖簾と障子で、その存在をアピールしました。障子をあけて入ると土間に板の間があり、そこで髪結の仕事をします。

その奥に客がたむろする間があって、そこには畳が敷かれていました。


板の間の外は野郎畳の髪結床 (新二三40)

野郎畳は縁なしの畳で、江戸中期になると待合場所に敷かれることが多かった。江戸時代前期は畳を敷かず板の間か、ござを敷く程度だったかもしれません。そこに将棋や艶本を置いていました。


障子紙大白ではる髪結床 (露丸評明三道2)

障子は白障子を貼ったあと提灯屋が絵を描きました。絵柄は様々でした。絵を描く前に油をふいて防水処理をしていたのは以前紹介しました。


髪結床は大暖簾を構えることで人目を惹き目立ちます。描いた絵柄で髪結床を呼んでいました。奴を描いた絵柄が多く、「奴床」で呼ばれる髪結床はあちこちにあったようです。

奴以外にも草木を描いた暖簾や、人気の歌舞伎役者を描いた暖簾、鬼や桃太郎もありました。


あたまかくして尻の出た床へ行き (六三9)

奴の絵は、褌をした奴の後姿を描いたもので、奴の尻が目立ちました。


出来立ての頭奴の尻から出 (一二五37)

髪を結ってもらった客が奴床から出てきて一句。頭と尻を対比させた川柳です。


和尚さま気ざす田町の髪結床 (一二九27)

奴の暖簾を見て、男色趣味の和尚さんが気ざしたという川柳。田町は浅草田町だと思います。気ざすは、催す。

髪結床へ来て痔の薬くんな (一〇五17)

奴床の尻の絵を見て、痔の薬を置いてある薬種見世(薬屋)と勘違いした? そんな想像をして面白く詠んだのでしょう。


以上は、江戸の町に多くあった「奴床」を詠んだ川柳ですが、「鬼床」も数句詠まれています。鬼の絵を暖簾に描いた髪結床です。

鬼床の近所暖簾に桃太郎 (一二〇11)

鬼床は、上野山下に鬼絵の髪結床があったのが知られています。その近所に桃太郎の暖簾絵を描いた髪結床が出現しました。鬼を退治する桃太郎、鬼床を負かす、という気概で桃太郎にした?

「桃床」なのか「桃太郎床」なのか? 長い読みを嫌う江戸っ子は「桃床」とよんだことでしょう。


鬼床の町場を逃げる角大師 (一〇四25)

角大師というと、民衆を救うため鬼に変身して流行病を防いだといわれる、平安時代に活躍した天台宗の良源とされています。角大師の絵をみると頭に角があります。この川柳は、髷など結わずに髻だけにしている人を角大師に見立て、鬼に退治されないように逃れているさまを詠んだ川柳です。


橋を隔て鬼床に六阿弥陀 (一〇四21)

六阿弥陀は下谷広小路の常楽院にあり、上野山下の鬼床とは橋を隔てていました。鬼と阿弥陀如来を対比させた川柳です。


「奴床」「鬼床」のほかには、

花の山近所梅床桜床 (一〇四22)

上野の山の近くに「梅床」「桜床」があったようです。暖簾には梅、桜が描かれていました。


髪結床貰う暖簾も頭割り (九〇13)

髪結床があたる頭と頭割りの頭を単にかけた川柳のようです。暖簾の絵とは直接関係はありません。

もしかしたら、髪結の親方が何人かの弟子の職人が独立する際、頭数だけ同じ暖簾を分けたのかもしれません。あるいは何枚か作った歌舞伎役者の大暖簾を何人かの髪結床で分けたのかもしれません。


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 「ヒゲを剃る」ことを「ヒゲを当たる」ともいいます。