髪結の料金は24文と、江戸のガイドブックに書いてあるのをよく見ます。
24文、間違いではありませんが、24文に限ったわけではありません。
佐渡奉行には16文という記録が残っていますし、江戸の町も後期になると、28文、32文だったりします。京都や大坂、外様の藩ではまた違った料金だったと思われます。
髪結料金は、場所と時代によって違います。
幕府直轄地では、奉行によって決まっていましたが、最低料金的な性格があります。江戸時代は武士が支配した時代です。武士はなにかについて優遇されていました。渡船賃はただでした。とれたての魚を献上するすることで河岸での営業が許されました。渡船も同様です。武家をただにするかわりに渡船を運航する権利が得られたのです。
髪結賃も同様です。武家には決められた料金をもらって髷を結っていましたが、武家以外の町人は、心づけを置いておくのが習わしだったといいます。余裕のない長屋住まいの貧乏人は最低料金で済ませましたが、おそらく親方の師匠が髷を結うではなく、中床といわれる技術習得中の職人が髷を結うことが多かったのではないかと推測されます。
前述の渡船の場合、江戸も後期なると、船が満員になると乗っていた武家は下船して有料の町人に譲ることが多かったというから、遠慮しながらの優遇だったようです。
【関連記事】
髪結組合 駆付役で手に入れた営業独占権と徒弟制度
0 件のコメント:
コメントを投稿
注: コメントを投稿できるのは、このブログのメンバーだけです。