21世紀の現在、元結を使うのは大相撲の力士くらいですが、丁髷が定番だった江戸時代には、ほとんどの男性がさまざまな元結で髷を結っていました。
元結でよく知られているのは「文七元結」です。江戸時代中期にはすでに作られていたといわれています。文七元結は、撚った紙に水を含ませて車(丸い輪)にかけ、さらに撚りをかけて水を絞るようにしごいて作ったとされます。白くて丈夫で、しっかり結うことができたため、人気を博しました。
紙を撚ったり、しごいたりして作る元結(こき元結、より元結)は、16世紀中ごろには存在していたようです。文七元結が特に人気だった理由の一つは、白い紙を材料にしていたため見た目が美しく、髷が映えたからだとされます。この紙を「文七」と呼んだことから文七元結と名付けられたという説がある一方で、文七という人物が開発したという説や、特定の製法で作った元結を文七元結と呼ぶという説もあります。
考証家の喜多村信節は『嬉遊笑覧』の中で、大道寺友山の『落穂集』、太宰春台の『春台独語』、菊岡沾涼の『本朝世事談綺』、宝井其角の『類柑子』などを引き合いに出して考証を行っています。喜多村信節が有力としたのは、『本朝世事談綺』にある「紙の名称説」です。
文七元結が登場したのは喜多村信節の時代からおよそ1世紀前のことですが、1世紀も経つとすでに生活文化に関する詳細は曖昧になっていたことがわかります。
文七元結は、現在では落語の人情噺の演目「文七元結」で知られているかもしれません。落語に登場する文七は、心優しい男として描かれています。
ちなみに、現代において力士が使用する元結は、非常に細く均一な幅に裁断した和紙を機械で撚り合わせ、職人の手で特殊な糊に浸します。その糊によって水に濡れても強度を保ち、滑りにくくなります。その後、天日干しにして余分な糊を取り除き、一定の長さに切り揃えて仕上げます。現在、元結を製造しているのは愛媛県四国中央市にある会社だそうです。
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