令和7年(2025年)は昭和100年、戦後から80年になります。戦争にまつわるテーマが取り上げられることが増えていますが、理美容業を所管している厚生省(現・厚生労働省)も戦争の落とし子といえます。
厚生省が創設されたのは昭和13年。
日中戦争がはじまって20年超が経ち、戦時体制へと移行する時期です。国民の体力向上、医療、感染症予防、母子保護、職業安定、福祉などを担うために内務省から分離して設立されました(内務省衛生局と・同省外局の社会局)。とくに長引く戦争で多くの兵員が消耗し、屈強な兵士を生み育てるには、まず健全な母体が必要との考えが強くあった、といわれています。
厚生省が設立された2か月後に国家総動員法が制定されています。
厚生省が創設されても理美容業(当時の理髪業、髪結業、美容業)は内務省の所管のままでした。理美容業は、内務省の警察部局が所管していて、設立時の厚生省とは距離がありました。
明治維新後、理美容業は一貫して内務省に属する警保寮、警保局など警察部門が所管していました。実務は各地に設置された警察署が行っていました。理美容業とともに洗濯・洗い張り業、浴場業、風俗業、また水道や埋葬なども同じ部署が管轄していたようです。
戦前の内務省は多くの権限を持つ巨大な官庁でしたが、敗戦で解体されました。
理美容業が厚生省・保健所の所管になるのは敗戦後になってからです。
厚生省は、戦争遂行のために設置された一面がありますが、いまの厚生労働省は国民の平穏な生活の実現をめざして活動する、巨額な予算を扱う巨大官庁になっています。そして、いま理美容業を所管する生活衛生課は生活衛生業種のほかに水道や埋葬も担当しています。戦前は需要の大きかった氷雪販売業がいまも所管業種となっています。
0 件のコメント:
コメントを投稿
注: コメントを投稿できるのは、このブログのメンバーだけです。