しゃぐま、髢(かもじ)は入れ髪の意味合いがあります。
日本髪にボリュームを持たせ、美しく形を整えるために用いるのが、入れ髪です。
「しゃぐま」はチベットやモンゴル、パキスタン北東部などに生息している、ウシ科の動物のヤクの毛です。
「しゃぐま」は「赤熊」という字をあてることがあります。赤茶色の毛をしたヤクがいたからで、赤茶色の他に白い毛、黒い毛をしている個体があり、白は白熊(はくま)、黒は黒熊(こぐま)ともいいます。実際には白い毛のヤクが多く、白い毛を赤や黒に染めて使っていました。
入れ髪に使うしゃぐまは黒く染めたこぐまを用いたと思われます。
しゃぐまの歴史は古く、中世には大陸から日本に伝わっていました。兜や槍の装飾品として武士階級に愛用されていました。
戊辰戦争で官軍の兵士が被っていたことで知られています。江戸城あけ渡し後、徳川幕府が江戸城に保管していたしゃぐま、はくま、こぐまの被り物を装着して幕府軍と戦いました。しゃぐま、はくま、こぐまは高価な舶来品でした。
また16世紀の戦国時代には髢として女性に使用されていたのが、16世紀中ごろ来日したルイスフロイスの『日欧文化比較』からわかります。
‥ヨーロッパの女性は自分の髪に他の髪を添えることはめったにしない。日本の女性はシナから渡来する鬘をたくさん買っている‥
フロイスは、日本女性が地毛に毛を添えることに驚いたようです。
この記述から当時の明から鬘や髢に使うヤクの毛が大量に輸入されていたのがうかがえます。
16世紀のころの日本女性の髪はまだ垂髪で、アップスタイルの日本髪はまだ出現していません。髢として、毛束を継ぎ足し、垂髪にしていた可能性が高い。
室町時代、髢に使う毛束は、おちゃないと称する女性が毛を拾い集めて作っていました。「落ちていないかねー」と言いながら毛を集めたことからついた職業名とされています。拾い集めた毛を髢にして、毛束を継ぎ足すために使っていました。しかし拾い集めるだけでは足りず、大陸から輸入した、しゃぐまを利用していたようです。
しゃぐまが入れ髪として使われるようになるのは、17世紀末から18世紀にかけてからです。そのころタボ、鬢、前髪、髷からなる日本髪が出現します。おそらく、18世紀なかごろに日本髪が定着し、いろいろ凝った髪型が登場するようになると、より華美な髪型を創作するために入れ髪が用いられるようになったと推測されます。
髢は、もともとは毛束です。室町時代になると宮中の女性は日常生活は長い垂髪では不自由なので短くしていました。宮中行事があるときだけ、髢を継ぎ足して垂髪にしていました。ですが、18世紀になると髢も、しゃぐまと同様、入れ髪の意味で使われるようになりました。
戦後の昭和の時代、入れ髪のことを「あんこ」と呼んでいた美容師さんがいました。おそらく饅頭の中身の餡からきているのでしょう。「あんこ」ならまだいいのですが、「ぞうもつ」といっていた美容師さんもいました。臓物をイメージしますが、もしかしたら内臓物から「ぞうもつ」といっていたのかもしれません。
戦後の昭和の時代、日本髪は廃れましたが、庇髪をする女性はいました。ご年配の方なら記憶にあるかもしれませんが、女優でタレントの塩沢ときさんがしていた髪型に代表される髪型です。たっぷりと「あんこ」を入れ込んだ庇髪です。
ただ、入れ髪の素材にしゃぐまが使われていたかはわかりません、
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