2023-09-21

「月代勝手たるべし」 文久の改革

 文明開化の象徴とされることの多い断髪令とザンギリ頭ですが、断髪令の前にもザンギリにしていた幕府の御家人がいました。

文久2年(1862年)の「文久の改革」の「服制変革ノ令」に「月代勝手たるべし」という内容が含まれています。幕府のすべての旗本や御家人に出したのか、洋式の軍事調練を受けていた御家人が対象だったのかは不明ですが、洋式訓練を受けていた御家人の何人かは髷を切ってザンギリ頭にしたといいます。


幕府の軍事訓練を行っていたのはフランス陸軍です。フランス式の軍装、軍帽を装着するには髷は適さない。指導するフランス軍人も洋髪です。指導を受ける御家人の何人かは進んで髷を切ったものと思います。


「月代勝手たるべし」の「服制変革ノ令」が出される前からすでに髷を切っていた御家人もいたのではないかと考えられます。「月代勝手たるべし」はそんな西洋との接点での現状を踏まえて後出しで認めた「変革ノ令」だったかもしれません。


洋式訓練を受けた御家人はどうやって髪を切っていたのでしょうか?

見よう見まねでお互いに髪を切り合ったか、フランス人の軍人に切ってもらったかは不明です。おそらく前者でしょう。

ちょうどこのころ小倉虎吉や松本定吉らが横浜港に停泊する外国船に出入りして西洋式理髪を学んでいましたが、彼らが御家人の髪を切ったとは考えにくい。


動乱の幕末、髪はザンギリあり、月代を狭くした講武所風あり、総髪髷あり、もちろん丁髷もありと何でもありの状態でした。


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