2023-06-08

戦後、電髪の復活とコールドパーマの登場

 パーマネント小史 3

戦後、電髪が復活します。

束髪や庇髪などの「なでつけ」を行う女髪結も営業していますが、戦中から徐々に減少しています。戦時中、芸者衆の多くはカツラを使用するのようになり、タボ差し、鬢差し、小枕などを使う本格的な日本髪を結う女髪結は少なくなっていました。「なでつけ」を行う髪結さんはいまも花街界隈で営業していますが、客は限定的で稀です。

戦時中、女性の洋装化が進み、女髪結から美容師の行う電髪が主流になっていました。


昭和30年ごろ、電髪は最盛期を迎えます。しかし、コールドパーマネントが登場すると、熱い電熱と毛髪の損傷がともなう電髪は廃れます。


コールドパーマネントは、昭和11年(1936)に英国でジョン・B・スピークマンが加温2浴式パーマの原理を発表します。亜硫酸水素ナトリウムを用い40度から50度程度に加温してパーマネントをかける方法です。加温式のウオームパーマです。


この加温パーマとは別に、昭和15年ころから室温でパーマをかける研究が、米国のマックドナウらによってすすめられます。現在のコールドパーマにつながる研究で、チオグリコール酸を用いたパーマです。


電髪にかわるウオームパーマ、コールドパーマが実用化されるのは昭和20年代になってからで、日本では昭和20年代の後半から徐々に普及します。昭和31年(1956)に「コールドパーマネントウエーブ用剤基準」が制定され、コールドパーマが急速に普及し電髪にとってかわります。


パーマネントウエーブ用剤は、その後システィンパーマ剤、用時調整発熱二浴式パーマ剤、縮毛矯正剤など次々と新製品が開発され実用化されます。また平成13年(2001)には、これまでの医薬部外品のパーマ剤とは違う化粧品許可製品の洗い流すヘアセット料(チオール基を有する成分を配合)が登場し、ヘアカラーと同日施術が可能になるなど技術の幅を広げています。


コールドパーマは昭和40年ころには最盛期を迎えます。コールドパーマの最盛期は長く続き平成4年(1992)ころ、コールドパーマネントウエーブ用剤の出荷金額がピークに達しますが、以降、衰退します。平成11年には162億円だった出荷額が、令和3年(2021)には70億円に減っています(洗い流すヘアセット料は含まず)。衰退は緩やかですが、長期に及び令和のいまも続いています。


0 件のコメント:

コメントを投稿

注: コメントを投稿できるのは、このブログのメンバーだけです。

セルフ、専属理美容師、大多数は理美容室を利用

 理美容という仕事はいつ始まったのでしょうか?