2023-02-09

理容館

 『明治事物起源』(石井研堂・著)には、遠藤ハツ(初代・遠藤波津子)さんの「理容館」が「美顔術のはじめ」として紹介されています。

日本古来の化粧法である白粉、眉墨(黒)、紅にかわる西洋の化粧法として、「理容館」が掲載されたようです。


明治39年夏、京橋区竹川町十二番地に開業し、その後支店ごときものが府内に四、五か所開いた、とあります。竹川町は現在の銀座7丁目あたりです。


同書では、「理容館」で行っていた美顔術の技法を簡単に紹介しています。

「まず熱く蒸したタオルにて顔を蒸し皮膚を柔らげて後、クリームを顔一面にぬり、指さきにてよく皮膚内に擦り込むようにし、次にコンプクレション・バルブと半球状のコップ型の器械にて、先に擦り込みたるクリームを万遍なく吸出す。しかれば毛孔中の垢埃などと和したクリームは黒く汚れて出づるべし。かく、全面の手続きを済まして、ここに施術終わるなり」

吸出すのはカッピング技法と同様で、令和のいまも行われている美顔術に通じます。


さらに同書では、近ごろ「理容館」ならぬ「美容館」「容髪館」などの看板を掲げる床屋があるとし、「意味のわからざる看板を出すほど高級の店舗と自負すもののごとし」と批判しています。

遠藤ハツさんの「理容館」は高品質なサービスを提供する高級な店舗と認識されていたのがわかります。


また同書では、遠藤ハツさんの美顔術は、「長く米国にありし者より、その方法と機械用剤などを伝授され、それを実施せるなり」と書いてます。伝授した米国人は、おそらくドクター・W・キャンブルだと思われます。


このドクター・W・キャンブルから遠藤さんよりも前に、芝山兼太郎さん、大場秀吉さんも美顔術を学んでいます。「美顔術のはじめ」として紹介された「理容館」ですが、これも諸説ありの部類になります。


参考

ドクター・W・キャンブル

https://kamiyoroku.blogspot.com/2021/11/w.html


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