2023-02-09

明治天皇の断髪は明治6年3月20日

 明治天皇が断髪したのは明治6年3月20日とされています。この日にちが有力視さるに至った経緯を『明治事物起源』(石井研堂・著)に見ることができます。

同書の初版は明治41年です。同書に明治天皇の断髪日を明治6年3月20日と記述があったのを見て、大正14年に臨時帝室編修局より、記載内容の出処を照会する書面が届いたことを同書の増補改訂版で紹介してます。臨時帝室編修局とは、明治天皇崩御後、「明治天皇紀」編修のために設けられた公的組織です。


この照会に、著者の石井さんは、出処を『新聞雑誌』24号の記事を引用した『近世事情』あると回答。『新聞雑誌」は木戸孝允参議(桂小五郎)が出資し明治4年に創刊された媒体で、政府筋の確かな情報を提供している、などと回答したところ、臨時帝室編修局より深謝の書面が届き、その書面を増補版に掲載しています。


以上は、『明治事物起源』(石井研堂・著、ちくま学芸文庫版)より。


『新聞雑誌』は創刊当初は月2回ほどの発行だったので、天皇が断髪して間もなく、断髪の記事を掲載したと考えられます。明治天皇の断髪日は明治6年3月20日というのは信頼性がかなり高そうです。


では誰が髪を切ったのでしょうか? これは的確な史料がないので不明です。推測になりますが、皇室付きの舎人の可能性が高そうです。天皇断髪の2週間ほど前の3月3日に美子皇后はお歯黒、描き眉をやめ、一足先に洋装化しています。皇后の差配で手先の器用な舎人に髪切りの技を覚えさせ、3月20日を迎えたのではないでしょうか。


皇后は摂関家の一条家の出で、天皇より年上。日常の生活面では天皇をリードしていたと考えてもおかしくありません。


20日、天皇は後宮でいつものように女官から立髻を結ってもらい外出し、帰ってきた天皇を見た女官は髪型が一変していたので、びっくり仰天したといいます。後宮を仕切っていたのも美子皇后です。


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