2022-10-11

役剃り 駆付け人足役 髪結の町役

 江戸時代、髪結はいくつかの町役を担っていました。

駆付け人足役が知られていますが、このほかにも囚人の月代剃り、橋番、町内の保安なども担っていました。


駆付け人足役は、火災などが発生したとき、町役宅などに駆付け書類を安全な場所に持ち出す役目です。橋番は増水時などに橋を見守る役目です。駆付け人足役は役宅に近い髪結、橋番は橋の広小路に出床を構えている髪結が担ったと考えられます。


町内の保安は本来は自身番の役目ですが、一町一株制で町内に一軒はある髪結床も保安の一端を担っていました。髪結床は道を挟んで自身番の反対側にあることが多く、道の両側から見張ることができました。とはいっても片町もあるし、一町一株制といっても髪結床は町数の三分の二ほどしかなかったようです。同じく一町一株制の湯屋は町数の半分ほどだったといいます。


町内の相談事は自身番で行うのが普通ですが、自身番がふさがっているときは髪結床の奥の間を使うこともあって、髪結は自身番の補完的な役割もあったようです。


駆付け人足役や橋番、町内の保安などは髪結だけに限った町役ではなく、町内に住む庶民が分担して担った町役で、駆付け人足役はエタ身分の人も担っていました。


町役にはいろいろあり、町で生活している庶民が分担していたのがわかりますが、髪結にしかできない町役もあります。囚人の月代剃りです。年2回剃るのがならわしでしたが、囚人が遠島に流されるときなどは、その船が出航する前に月代剃りをすることもありました。囚人の月代を剃るのを役剃りともいいます。半年に1回では、5,6センチは伸びていたでしょう。


囚人を管理している町奉行の同心から髪結仲間の頭(年行事)に髪結派遣の要請がいき、頭が牢の近くの髪結を派遣したのだと推測されます。同心から町名主経由で髪結頭に依頼したかもしれません。


江戸時代の役剃りに関しては詳しい史料がないのでわかりませんが、明治維新後の明治3年の事案の記録が東京府に残されています。


…囚獄司より東京府常務掛へ流罪囚徒出帆に付月代梳等取計の為府下髪結職の内4人明後29日朝五半時地主代附添当司へ罷出の義其筋へ達の旨掛合… (東京都公文書館情報検索システムより/常務局)


囚獄司より東京府常務掛へ、流罪の囚人が出航するので月代剃りなどのため、府下の髪結職4名を明後日差し向けてほしいという、はたらきかけです。その筋へ達とは、髪結頭に命じられたい、といった意味になります。


明治維新後も江戸時代の統治は名称を変えながらも継続されていました。牢獄の囚獄司も江戸時代の幕府の下級役人がそのまま新政府に雇わることが多かったといいます。東京府常務掛も上役は薩長などの官軍関係者でしたが下級官吏は江戸時代の町役人がそのまま採用されることが多かったといいます。


明治維新というと一気にすべての体制が変革したように思われがちですが、こと東京の庶民の生活は徐々に新しい時代へと変わっていったのが髪結の役剃りからもわかります。


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 「ヒゲを剃る」ことを「ヒゲを当たる」ともいいます。