2022-10-08

理髪営業取締規則

理髪業が初めて公的な規制を受けたのは、明治32年に京都府で出された理髪営業取締規則といわれてます。京都府では明治29年に府令で理髪組合の結成をうながしていて、その流れでの取締規則になったと推測します。

2年遅れて明治34年に東京府でも理髪営業取締規則が出されます。このときまでには、すでにいくつかの府県で規則がだされていました。

規制の内容はおおむね同じで、これまで自由にできた理髪営業を届出制にしたことです。あわせて消毒方法について記した「消毒薬品ノ製法、取締法及適用」という通称、消毒法告諭がだされています。


理髪営業取締規則には届出制と同時に、適切な消毒法を行っていない店に対して閉鎖命令させる規定もあり、理髪営業取締規則が衛生にもとづく規制立法であることがわかります。

当時のコレラや結核などの感染症や皮膚の伝染病などの蔓延にともない防疫意識や公衆衛生意識の高まりを反映した規則といえます。


理髪営業取締規則とありますが、理髪業には男性相手の理髪業のほか髪結と当時はまだ少数でしたが洋髪を行う美容を含む規則でした。


この取締規則、消毒告諭を出した官庁は、東京は警視庁、他の府県は各自治体の警保部(警察本部)でした。警保部の部長は内務省からの任官で、内務省警保局の人材が多く派遣されました。知事も内務省からの任官でした。

警視庁は、当時の内務省の警保局に直結した部署で、他府県の警保部は自治体が所管していましたが、東京の警視庁は中央官庁である内務省直属でした。経費のみ東京府が負担するという変則的な仕組みでした。


中央官庁に直結した警視庁の動向については、各府県の警保部は注目しているところで、東京が取締規則を出してから採用する県が増えていきましたが、すべての府県で取締規則を定めたわけではありません。結局、1道5県は終戦まで規則を設けていません。


当時の警察は司法警察のほか行政警察としての業務を行っており、理髪業営業取締規則は、行政警察の業務として発出されたものです。行政警察では国民の安寧なども業務に含んでいて、防疫、病気の予防なども行っていました。

戦前は、警察が音頭をとって、町内の一斉清掃などを指導していました。ダニやノミなどを駆除し、伝染病を予防するのが目的とされています。いまとは隔世の感がありますが、衛生状況がまったく違っていたのがわかります。


理美容の業界史で、東京府の取締規則がとりあげられるのは、警視庁が中央官庁の内務省に直結していたからだと推測されます。

しかし最初に取締規則を設けたのは、前述の通り京都府です。

京都府と大阪府は理髪に関しては先進的に取り組んでいます。理髪の試験制度を最初に導入したのは大阪府で、大正8年(1919)のことでした。


理髪、髪結など髪仕事に関しては京都、大阪の上方は江戸時代から一歩すすんでいました。月代剃り・髷結いの髪結床は京都、兵庫髷、島田髷などの日本髪は大坂にはじまります。江戸は上方よりおおよそ四半世紀遅れて、それらの髪仕事がおこります。江戸中期までは上方が髪仕事の先進地で、江戸後期になると江戸も栄えますが、上方が衰退したわけではありません。粋が好まれた江戸と艶が好まれた上方が並び立つ状況でした。髪に関しては二つの文化圏が存在していたと理解できます。


明治になっても江戸時代からの流れが続いていました。京都で理髪営業取締規則、大阪で理髪試験が全国に先駆けて行われたのは、上方の理髪業者の熱意と働きかけがあります。同時に府知事が警保部を所管していたのも、対応しやすかったのかもしれません。

京都、大阪の動向をみて、東京の警視庁が動き、さらに全国の県に波及していった、そんな流れがあるのがわかる理髪営業取締規則です。

 

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