2022-06-08

女髪結川柳

 江戸での女髪結のはじまりは、諸説ありますが、寛政2年に上方歌舞伎の女形・山下金作(2代目)付きの床山が深川の遊女に結ったことから、興ったとされています。

寛政2年説のほかに安永末ごろという説もあります。いづれにしても上方より四半世紀ほど遅れての出現です。


当初は、遊女や茶屋女などを客にしていましたが、女髪結が増えると結賃が下がり、それにともない町家の婦女も女髪結に結ってもらうようになりました。また、安永、天明のころ複雑な髪型が登場し、セルフで結うのが難しくなったことも女髪結が活躍する一因のようです。


寛政7年に、いわゆる『女髪結差止説諭』の触れが出されています。触れが出されるほど女髪結が増え、活躍していたのでしょう。この触れは家主などに向けて出されたもので、町内に女髪結を生業にしている者がいれば、洗い張りなど他業への転業を指導するように、という内容です。


この触れは、町人らの奢侈を禁止する他の触れと同時にだされましたが、すでに女髪結は江戸の町で、女性ができる数少ない仕事の一つになっていました。そんな事情を知る奉行は形式的に出した触れのようです。


天保年間にも女髪結を禁止する触れが出され、このときは女髪結本人はもちろん親や夫、さらには結ってもらった者も処罰の対象にするなど、本気度は上がりましたが、実際に捕追された者はいなかったといわれています。

時の奉行は、遠山の金さんこと遠山金四郎景元で、江戸の婦女にとって女髪結は必要となっていた、そんな民情を理解していたともいわれています。


女髪結が実際に捕追されたのは、幕末の嘉永6年のことです。同年3月15日に本所で夜鷹ともども捕追されています(『武江年表』)。夜鷹は売春婦で、夜鷹と一緒にいたところを捕まったのですが、女髪結が夜鷹まがいのことをしていたのか、夜鷹の髪を結っていたこころを捕まってしまったのかはわかりません。


ここで紹介している川柳は江戸古川柳で、主に宝暦から寛政ころに詠まれたもので、女髪結に関する川柳はわずかしかありません。


女髪結世辞にまで艶を言い (一五五27)

いまも話好きの美容師さんは多いですが、江戸のむかしも変わらない。一対一でする仕事なので、無言でいるよりは他愛のないことに話が弾む。艶っぽいも話もあったのでしょうが、艶話のなかみわかりません。


日本髪は前髪、左右の鬢、後頭部のタボ、天頂部の髷で構成され、鬢付け油で表面に光沢のある艶をだします。全体のデザインも重要ですが、それぞれの面に美しく光沢をもたせることでより美しくなります。

日本髪の艶と艶話をかけた川柳です。


女髪結櫛箱でお初の身 (一六三10)

むかしほどではないにしろ、いまも町の美容室は身近な情報が集まる場所です。身近な情報のなかには適齢期を迎えた男女の話もあります。

この川柳のお初は、浅井長政3姉妹の次女で、京極高次に嫁ぎました。長女は豊臣家に嫁いだ茶々(淀)、三女のお江は徳川秀忠の正室です。お初は大阪の陣で、豊臣・徳川両家を仲介した、といわれています。女髪結をそんなお初に見立てて、両家の婚姻の仲介を頼まれた様を詠んだ川柳です。櫛箱を抱えて両家を行き来したのでしょう。


女房は髪結 亭主油売り (一二三48)

「髪結の亭主」はヒモのことですが、この川柳に詠まれた亭主はヒモではなさそうです。女房に養われて、あちこちで無駄話の油を売って、のんびりと気楽に暮らす亭主です。

腕のいい女髪結は稼ぎも多い。そんな稼ぎのいい女髪結を女房にした亭主は自分の少ない稼ぎの仕事がばからしくなって、仕事を辞めてしまう。ヒモの「髪結の亭主」は悪どいですが、女房に養ってもらう亭主はいい身分です。そんな髪結の亭主を美容業界では「髪亭」と呼んでいました。夫唱婦随なら婦唱夫随な関係の夫婦です。令和のいまとなっては過去の話ですが、昭和の時代まで「髪亭」は棲息していました。この「髪亭」、早々と江戸の時代に存在していたようです。


<参考>

江戸古川柳ではありませんが、明治期になって女髪結を詠んだ川柳を一句。

女髪結ひ 縁までもよく結ぶ (『団団新聞』明治19年7月10日号)

女髪結は客宅に出向いて髪結仕事をします。出向いた先の家の情況は自然とわかります。自分の得意先の家庭情況、適齢期の男女の情報を判断して、縁結びの手伝いをしたのがこの川柳からわかります。


江戸中期に興った女髪結は、江戸後期から明治期にかけて盛隆し、先の大戦をはさんで女性の洋装化にともない低迷、戦後コールドパーマネントが登場するに至り衰微します。この間、島田髷、丸髷、兵庫髷、また明治中期以降の束髪、庇髪などを基本に多種多様な和髪を創作、提供しました。日本の髪風俗に一つの画期となった髪形を担った女髪結の業態は150年ほどの存在でした。令和のいまも和髪を結う美容師はいますが、すでに伝統職種となっています。


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