2022-06-07

廻り髪結は上総出が多い

 江戸の髪結は、一町一株による内床のほかに、橋詰広小路など繁華な場所に仮設の床をはって髪を結う出床、得意先を尋ね歩く廻り髪結の三つがありました。

廻り髪結は川柳をみると、上総出が多く、上総は江戸の廻り髪結の供給地だったようです。髪結の技を指導する親方がいて、技を身につけた弟子を江戸に送り出していたのでしょう。おそらく江戸にも上総からの廻り髪結の面倒を見る有力者がいたのだと思います。


歌舞伎の人気演目のひとつ「髪結い新三」(『梅雨小袖昔八丈』、明治6年、中村座初演)の主人公・髪結い新三が上総出と設定されているのは、上総出身の廻り髪結が多くいたことを踏まえてのことと思われます。


髪結を一艘積んで帆を掛ける (明六満1)

上総から廻り髪結を乗せ、江戸に向かう帆掛け船を詠んだ川柳。おそらく江戸・木更津河岸に着岸したのでしょう。


生臭い船で髪結渡海する (明八信3)

上の川柳と類似していますが、廻り髪結の乗った船は漁船だったようです。


一睡のうちに髪結江戸へ着き (二七12)

上総から江戸への船旅は短時間です。一睡したのは、上総の廻り髪結です。


江戸川の縁に髪結二三人 (安八智6)

木更津河岸から江戸に上った上総の廻り髪結が二、三人、江戸川の土手で、これからどこを廻るか相談しているのかもしれません。


上総は昼間越前は夜廻り (三五24)

昼上総夜は越前廻るなり (安四鶴4)


この二句は同じ内容を詠んだ川柳です。上総出の髪結は明るい昼間に江戸の町を廻り、越前出は警邏で暗い夜に廻る。廻り髪結は上総出身者が多いように、夜回りは越前の出身者が多かった。


髪結に成って景清狙うはず (安六仁5)

景清は、伊藤景清とも、上総介忠清の七男で上総七郎とも、あるいは勇猛だったため悪七兵衛景清の異名もある武将。平家に仕え都落ちに従ったため俗に平姓で平景清と呼ばれることもあります。狙うのは源氏の統領、源頼朝の命です。

上総出の多い廻り髪結と、上総出の景清をかけた川柳です。


以上は、上総出の廻り髪結に関する川柳です。


廻り髪結は、鬢盥を手に下げて江戸の町を廻ります。得意先を廻ることもありますが、町中を流す廻り髪結もいました。


あたまてんてんで髪結いまねかれる (安七松4)

廻り髪結は大きな鬢盥を下げているので、町を歩いていると、遠目でもわかります。廻り髪結を見つけた人が自分の頭を突ついて髪結に合図を送ります。自宅に招き入れて髪を結ってもらうのでしょう。


髪結が来ると月代撫でて見る (宝一二智4)

廻り髪結を見かけた人が月代をなでて、毛の生え具合を確認します。もし伸びているようなら髪結をしてもらう。


浪潜るように髪結回って居 (明元礼1)

得意先の家に入ったり、仕事が終わって道に戻ったり、と出たり入ったりする廻り髪結。浪のまにまに浮き沈みする姿を重ねた川柳です。


髪結の四五足鳴らす下駄の音 (宝十三松3)

得意先の家の前で、4、5回下駄を鳴らして、到着したことを知らせる廻り髪結もいたようです。

廻り髪結は下駄を履くのが習わしかというと、そんなことはありません。


髪結は草履をはくに手間を入れ (明二桜2)

この川柳では下駄ではなく、草履を履いています。遠くの得意客に向かうのでしょう、入念に手間をかけて草履を履いている髪結を詠んだ川柳です。草履では家の前で鳴らすことはできません。


忙しい形り(なり)で髪結のろり来る (一三〇14)

急ぐようなふりをして髪結はゆっくりとやってくる、という川柳です。


今来てというに髪結屁ともせず (安八松4)

急いできてほしいという客の依頼を無視する髪結もいたようです。


川柳を読んでいると、内床、廻り髪結、出床の三つでは単純には収まりません。

たとえば、

小石川天道丸の髪結床 (明五礼4)

いま小石川は地名に残っていますが、川はありません。江戸時代には川が流れていました。その小石川に天道丸という川船が係留されていて、そこで髪結をしていた、という川柳です。

江戸は水運の町です。堀や川がめぐらされていました。小石川に常に係留された天道丸で髪結をしていたのか、天道丸を操船しながら川辺で仕事をしていたのかはわかりません。

川柳に詠まれるくらいなので、川船での髪結は珍しかったのかもしれません。


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