理美容師さんは新しい技術や流行のヘアスタイルの情報収集、技術習得に熱心です。理美容師さんの仕事に対する熱心さは、髪結仕事が興った江戸の時代から変わりません。
〇寄り合うとたぼの話の髪結床 (新板柳樽一1)髪結が何人か集まるとタボの話になる、という川柳です。髪結の組合仲間の寄合で集まったときの情景を詠んだのかもしれません。タボは後頭部になりますが、この部分の厚みの出し方によって丁髷のイメージは変わります。江戸の時代から髪型には流行り廃りがあって、髪結は流行を知らなければ閑古鳥が鳴くことになります。
当時の流行の発信源は主に歌舞伎で、仕事熱心な髪結は、人気の歌舞伎役者の髷やタボ、鬢、月代などを研究していたはずです。
また江戸の髪結は鑑札を受け、営業をしていましたが、市中には無鑑札で仕事をしている髪結も多く、鑑札を受けた髪結は組合仲間を結び、町奉行に取り締まりを願い出ていました。
鑑札を受けるには金銭を町役人を通じて奉行に納めます。また髪結は町内の自治組織の一端をにない、見世の立地によって、災害時に重要書類を持ち出す駆け付け役や、囚人の髪結、橋番などを任されていました。その見返りに営業の独占権が与えられていたはずですが、市中には勝手に仕事をする忍髪結が横行していました。奉行も組合仲間の要請を受けて、忍髪結を禁止る触れをだしていますが、積極的に取り締まった形跡は見られません。
令和の理美容師も横のつながりが強い。これも江戸のむかしから変わりません。
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