髪結床に集うのは、女好きの独身者が多い。髪結床の前を通る若い女性にちょっかいを出すこともしばしばあり、髪結床は若い女性にとって鬼門だったようです。
〇油絵の障子を明けて毒を言い (二五3)
〇荒っぽく女を誉める髪結床 (明八桜5)
〇髪結床して遣りたいと過言なり (安元礼5)
通行する女性に、はしたない言葉をかけることもあったようです。
そんな髪結床の前を通る若い女性は、
〇髪結床の前で日傘が横になり (貞房画柳樽七5)
〇紋々の障子の前を娘駆け (安四天1)
髪結床は大暖簾と絵障子でその存在をアピールします。紋々は倶利伽羅紋々の刺青の絵を描いた、いかにも男っぽい髪結床の前を若い娘が駆けていった風景です。
〇役者絵の障子を明けて毒を言い (安六五五会)
紋々の絵もありましたが、多いのは役者絵を描いた障子でした。歌舞伎役者の人気にあやかって描いたのです。障子に絵を描いたのは提灯屋で、防水仕様になっていました。
〇文が来ていやすと髪結床で言い (明六智4)
客待ちにいる先客に文が来ている、といっただけの川柳ですが、場所が髪結床となると、その文は遊女からのお誘いの手紙になります。
〇髪結床ごぜのお袋どなり込み (明四仁3)
この川柳は、目が見えずに髪結床の前を通りかかった若い女芸能者のこぜ(盲女)をからかった髪結床にたむろする連中に、こぜの世話をしている寄り親のお袋が怒鳴りこんできた情景を詠んだ句です。
また、なかには気の強い女性もいたようで、
〇気の強い女 髪結床で聞き (二七22)
ふつうの女は敬遠する髪結床で、道や行先を尋ねる女性もいました。
髪結床が女人禁制かというと、そんなことはなく、江戸後期には髪結の女房が行う月代剃りを禁止する触れが出されています。髪結の女房のなかには、好きものの男たちをあしらうのに長けた女房もいて、亭主の仕事を手伝っていました。
江戸の髪結床は三人立ちといって、小僧、職人の中床、親方の三人で客にあたることが多かったといいます。もちろん手広くやっている髪結はもっと多くの職人や小僧を抱えていたと思います。
三人立ちで急な病いで人手が足りなくなったときなどに、髪結の女房が助っ人で仕事をすることもありました。なかには、仲立ちの職人を雇えるほど客が来ない髪結床があったかもしれません。女房は大事な働き手でした。
とはいっても素人仕事です。月代剃りにしくじることもあり、それが目立つようになり触れにつながったようです。
0 件のコメント:
コメントを投稿
注: コメントを投稿できるのは、このブログのメンバーだけです。