2022-05-29

髪結床に集う客たち

 江戸の髪結床はどんな風景だったのでしょうか?

式亭馬亭の『浮世床』をはじめ、当時の書物にしばしば登場しますが、ここでは江戸川柳に見る、髪結床を紹介します。時代としては江戸時代なかごろの宝暦から寛政ごろにかけての風景になります。

髪結床は町内の集会所的な存在でした。主に集まってくるのは暇な御仁たち。


あしたでもすってくれろと角行をなり (明五満3)

髪結床 壱冊ずつは絶えずあり (明元礼3)

髪結の順番を待ちながら、将棋をさしたり、艶本を読んだりしていました。髪結床の奥は客待ちになって、そこには将棋や艶本が置いてあったのがわかります。
将棋に夢中になって、髪結はそっちのけです。髪結もいつまでも待ていられません。

詰み際になって 髪結せっつくなり (安元松5)
手見禁になさいと髪結待っている (安三桜3)
手見禁とは、「待ったなし」のことです。待ったばかりしていては、なかなか勝負がつきません。

髪結床に出かけたまま、将棋に熱中したのでしょうか、なかなか帰らない客もいました。
帰ってこない亭主を呼びに行くこともしばしばあったようです。

日半日息子髪結床に居る (安二叶2)
仕事もせずに髪結床で日がな一日、油を売ってる困った息子です。
安息子五六人がいる髪結床 (天八10 5)
安息子は、バカ息子のことでしょうか。

髪結に小さな勅使 三度立ち (九六10)
この川柳は、子が父を迎えに行ったときの風景です。謡曲「雷電」の法性坊にかけた川柳で、三度来たら断れない。しぶしぶ帰らざるを得ない情景を詠んだものです。

今しがた見えなはったと髪結床 (安二7 5)
髪結床からなかなか帰ってこないので、迎えに行ったら、「今までここにいたが」と髪結床。まっすぐ自宅には帰らなかったようです。

髪結床に長々と居て、眠りこんでしまった客もいました。
目が覚めて見ると髪結不在なり (安六仁5)
眠りこけている客を置いて、髪結がどこかに出かけてしまったようです。

髪結の客は男です。夫婦ものなら妻が亭主の頭を当たり月代を剃り、髷を結うのが習わしでした。幼子の頭も剃り、大きくなった子は中剃りをしていました。
不器用な妻の亭主や富裕な亭主は髪結床にまかせていましたが少数です。客は独身男性が多い。髪を結って岡場所に出陣する輩もいました。

安女郎買いが寄ってる髪結床 (藐迫6)
髪を結い終わって行く先はもちろん女郎屋です。

前述の「壱冊ずつは絶えずあり」は艶本です。艶本を読んで暇をつぶしていたのでしょうが、艶本に刺激されて、いざ出陣、となったかもしれません。
女郎買いに行くのは客ばかりとは限りません。

夕べあれから行ってのと髪結床 (十二29)

いってきた髪結 夢で仕事をし (明五梅4)
夢気分で仕事をしているのでしょうか?

髪結に集う男たちは、女郎g大好きな男たちだったようです。髪結もそんな会話に加わって、岡場所の情報交換をしたり、女郎買いの自慢話に盛り上がったのでしょう。そんな光景が目に浮かびます。

髪結床を利用する男は、いま理美容店を利用する男性より格段に少ない。1年間に1回以上理美容店に行く人を理美容店の利用者とし、その人口比率を利用率といいます。令和の男性は85%ほどになります。江戸市中ではあてずっぽうですが、2割程度ぐらいでしょうか。

単身赴任の武家のなかには髪結床を利用する武士もいましたが、多くは仲間内で月代を剃っていました。手先の器用な武士はいるもので、小遣い銭をもらって同僚の月代を剃り、髷を結っていました。月代・髷の仕上り具合で、どこの藩の武士かわかったといいます。

利用率は各段に少ない髪結床ですが、利用頻度は各段に多い。いまなら月に一度か二月に一度ぐらい理美容店に行く程度ですが、髪結床は月代が伸びる関係で2-3日に一度、4日も経つと月代の毛が無精です。
その結果、頻繁に髪結床に行くことになります。頻繁に行けば自ずと顔見知りになり、仲間のような関係になります。髪結床の客は常連客でみんな顔馴染みなわけです。

江戸では、湯屋と髪結床は一町一株(一町に一軒に限定)とされ、湯屋の隣、または近くに髪結床がありました。ひと風呂浴びて髷を解いたあと、髪結床で結い直してもらう客も多くいました。
もっとも一町一株とはいっても、湯屋も髪結床もすべての町にあったわけではありません。湯屋は時代にもよりますが町数の半数ぐらい、髪結床はそれよりは多くありましたが、町に必ずあったわけではりません。湯屋も髪結も需要と供給の経済原則には逆らえません。

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