2022-03-16

木戸松子の髪を結った、おたきさん

 明治維新の三傑の一人、木戸孝允が桂小五郎と名乗っていた幕末のころ、京の芸妓・幾松との命がけの冒険譚、波乱に満ちた恋愛譚はいろいろな書物に紹介されていますが、ここでは明治になり正妻となった木戸松子さんの髪を結った女髪結・おたきさんの話。



おたきさん、結髪の腕がよくて、木戸松子さん以外にも維新要人の奥方の髪を結っています。丸髷が得意で、「丸髷のおたき」と呼ばれていたそうです。


木戸夫妻が東京に居を構えたのは明治2年(1869)。木戸孝允が明治10年に死去し、松子さんは京都に戻っていますから、その間の話になります。


『明治百話』(上)(篠田鉱造・著、岩波文庫)に、おたきさんの子息が語った話が紹介されています。

おたきさん、少々偏屈なところがあったようです。虫の居所が悪いとテコでも動かない。名人といわれる人にありがちな変人だったのかもしれません。いそいで髪を結ってもらうときは、馬車が迎えが来た、といいます。腕がよかったのは確かなようです。


木戸松子さんは、京都の芸妓あがりとは思えぬくらい気風がよく、江戸肌だったといいます。『明治百話』では松子さんの気前のよさが書かれています。


好みの髪型は、おたらいだったといいます。おたらいという髪型は、笄に8の字に毛束を巻き付けた髪型で、形状がたらいに似ていることから、おたらいと呼ばれていました。この結い方を、たらい結びといいます。

このおたらい、幕末に登場した髪型で伝法肌の年増女がした髪型です。おたきさんが「この髪はお品がわるうござんすから」と申し上げると、松子さんは外出するのをやめた逸話が紹介されています。次からは、品のいい丸髷に結ったのではないかと思います。


以上は『明治百話』から。


明治から大正期にかけては名人といわれる女髪結が登場し、おたきさんと同様、富裕な婦人の髪を結っています。おたきさんの髪結い賃は不明ですが、破格な料金だったのは、後の名人といわれる女髪結の結い賃をみれば想像できます。


ネットで木戸松子さんの写真を検索すると、洋装姿の写真がヒットしました。明治9年に夫妻での洋行が計画され、その準備をしていた時に撮った写真と思われます。結局、洋行は夫の死で実現しませんでした。夫の死後は剃髪したと伝えられています。和装姿の写真は数点ありましたが、丸髷姿の写真は見当たりません。


*掲載写真は、幕末ガイド(https://bakumatsu.org/)から引用しました


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