2022-01-23

髪結賃24文・蕎麦16文の比較はナンセンス

 江戸時代のガイド本に江戸の髪結賃は24文と紹介している本が多くあります。



24文で間違ってはいませんが、正解ともいえません。江戸時代といっても265年間あり、時代によって違いますし、場所によっても違います。


戦国時代末の安土桃山時代の京でおこったとされる髪結業ですが、当初は1銭でした。江戸では開幕間もないころに髪結を稼業にする人が現れますが、髪結賃はやはり1銭でした。髪結のおこりは1銭剃りといわれるようにもともとは1銭だったようです。それが8文、16文、20文になり元禄時代には24文になったといいます。


江戸の髪結賃がすべて24文であったわけではなく、商家などを得意先にする廻り髪結は1回の賃料ではなく、出向いた商家の複数の客を相手にして、まとめていくら、とあらかじめ料金を取り決めていました。また店を構えずに辻で髪結をする場合は料金は安かったはずです。


町奉行は髪結鑑札をだし、一町に一軒の内床制(一町一株)にするなど規制しましたが、江戸時代を通じておおむね無視されていました。

天保の改革で、髪結の組合仲間が解散させられると、多くの髪結が表立って仕事をはじめ髪結賃は下がりましたが、幕末になると逆に32文やそれ以上に値上がりしていています。おそらくインフレ経済になったのだと思われます。


髪結賃は時代、また場所によっても違いますが、ざっくりと24文とされています。

髪結賃とよく比較されるのが蕎麦一杯の値段です。蕎麦は16文とされています。蕎麦一杯の値段も髪結賃同様、時代、場所によって変化していると思いますが、ざっくりと16文が通り相場です。二八蕎麦から2×8で16文という説もありますが、どうやら2割を小麦粉8割をそば粉に由来するようです。


いま私たちが食べている切り蕎麦は元禄時代に登場したといわれています。蕎麦そのものは奈良時代には大陸から朝鮮経由で渡来していたそうですが、蕎麦練りや蕎麦がきにして食していました。江戸時代になってから切り蕎麦が登場しますが、蕎麦粉だけだと切れやすいので、つなぎに小麦粉を2割入れる二八蕎麦になったのが元禄時代といいます。


髪結賃の24文、かけ蕎麦一杯の16文が比較されるのは、ともに現在にまで続いていて、想像しやすいからだと思います。令和のいまなら理髪料3500円、蕎麦一杯400円といったところです。単純に料金比較すると、いまの理髪料は高い、ということになりますが、この比較はまったくナンセンスです。


蕎麦はともかく、髪結と理髪では仕事の内容が大きく異なります。しかも利用する客の状況も違います。江戸時代は、多くの人が自家で月代を剃り、髷を結っていました。髪結を利用するのは主に単身者です。利用率が全く違います。


髪結を利用するのは2,3日に1回程度です。月代が伸びるからです。単身者が身ぎれいにしようとすなら、そのくらいの頻度で通う必要があります。いまなら月に1回か2か月に1回程度、理美容店にいって済ませる人が多い。江戸時代は、月に10回ほどは髪結に通い、利用頻度が違います。その辺が賃料に影響しないはずはありません。


江戸時代といまは全く別の世界と理解したほうが無難です。へたに比較すると、変な誤解を招くことになります。


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