2021-12-04

髪結事始めは、秀吉統治の京で

 一般の人を相手にした髪結職は戦国時代の末、京で始まった、といわれています。

当時の時代的な状況や京の町の状況から、妥当と思われます。これが髪結職の事始めといえます。


戦国時代の末というと、安土桃山時代になります。

織田信長は天正10年(1582)に本能寺で横死するまでの15年間ほど京を支配し、村井貞勝を京奉行にして、京の町を治めさせています。


しかし、信長が統治していたころは、まだ長篠の合戦など大規模な戦闘が続いてます。しかも信長は室町幕府が滅亡した天正元年(1573)に軍用金の賦課に応じなかった下京を焼き討ちにするなど、京の町を戦乱に巻き込んでいます。橋のたもとに床を張って髪結稼業するような状況とは考えられません。


織田信長に代わって豊臣秀吉が天下をとります。秀吉は前田玄以に京の諸政務を任せます。この人は村井貞勝の婿で、織田信長の時代から京の政務を担当していました。秀吉から、その手腕は高く評価され、秀吉が京で行う事業を遂行しました。豊臣政権が崩壊する直前の慶長5年(1600)まで、その職に就いていました。

ちなみに義父の村井貞勝は本能寺の変で討ち死にしています。


豊臣の時代になると秀吉は聚楽第の建造(天正15年、1587)、御土居堀の築造(天正19年、1591)、三条、五条の大橋を造るなど、京を整備し、また地子銭を永代免除し、楽市楽座を行います。さらに、大藩の外様大名の屋敷を京に設け住まわせたことで、京の町は賑わい、繫栄します。秀吉の施策によって、地方からの人の出入りは、増えたのは確かです。


髪結職など人の生活に密着した仕事は人の往来、人口の多さがあってはじめて成立する仕事です。もちろん平和な世の中であることが大前提です。

1590年ごろには、堀川、賀茂川などにかかる橋のたもとで髪結が地方からの旅人らを相手に仕事をしていたのは十分、考えられますし、その可能性が高い。


江戸に髪結が現れるのは、江戸に徳川幕府が開幕し、江戸城の築城や堀や河川の築造、江戸の町の建築などが活発に行われるようになってからです。京より四半世紀ほど遅れてからになります。


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