2021-11-21

洛中洛外図舟木本に描かれた、二つの髪結床

 京の洛中洛外をテーマにした絵画は多くあります。なかでも「洛中洛外図舟木本」(*)に髪結が描かれています。しかも2か所に登場します。

江戸時代初期のころ、研究者によると1615年ごろの作といいます。舟木本とよばれてますが、六曲一双の屏風絵です。


応仁の乱から続く戦乱から復興しはじめた京の風景、風俗が描かれています。まだ戦国の遺風があり抜刀した傾奇者や、訪れた平和な時代に遊興に興じる老若男女が多数、描かれていますが、いろいろな仕事をする人も描かれています。

髪結は五条大橋の西橋詰と二条戻橋の脇の二か所に描かれています。


五条大橋の髪結(上)は月代をあたっています。剃刀で月代を剃っていると解説している書籍がありますが、日本剃刀にしては大きすぎる感があります。後年の日本剃刀はもう少し小ぶりです。戦国末から江戸時代初期に使用された剃刀と、その後のものとではサイズが違うのかもしれません。


また左手の添え手も月代剃りにしては不自然な感じがします。絵師がそこまで観察しなかったのかもしれません。この手の位置、剃刀の大きさを見ると、けっしきという大型の毛抜きのようにも思えます。


戦国時代には頭部の蒸れを防ぐため、月代にする風習になりましたが、けっしきという毛抜きでごっそりと頭髪を抜いたといいます。抜いたあとから血が流れた、と戦国時代末に来日したルイスフロイスは驚きをもって書き残しています。


客は布を広げて毛受にしています。後年は木製の毛受で客は髪や剃った毛を受けますが、この当時の辻の髪結は手ぬぐいのような布を使っていたようです。

軒先に鋏、髪剃、二つの櫛を描いた看板が吊られています。戻り橋の髪結も類似の看板があります、京の髪結は、この看板を出していたようです。


屋根はありますが、床を張っただけの簡便な造りです。なにかあればすぐに撤去できる仕様です。


戻り橋のたもとで仕事をしている髪結(上)の客は総髪です。髪結は櫛で髪梳きをしているようです。梳いて毛束を整えたあと、髻を結うのでしょう。客は手鏡をもって髪結の仕事具合を見ています。

江戸時代初期、タボは後頭下部にたるませ、髻は低い位置に結う髪型が多く見られます。歌舞いた男がすることが多い髪型ですが、この客も傾奇者かもしれません。


この髪結床にも五条大橋の髪結床と同じような看板が掲げられています。二つの櫛と左の鋏は握り鋏の図柄です。真ん中の道具は剃刀ではないようです。毛抜きかもしれませんが、この図柄からは正確にはわかりません。


「洛中洛外図舟木本」が描かれた江戸初期には京の町で髪結が仕事をしていたのは、確かなようです。この絵が書かれる以前、戦国時代の安土桃山時代にはすでに京の町で髪結が仕事をしていたといいます。これが一般の人を相手にした髪結職のはじまりです。


*)「洛中洛外図舟木本」は六曲一双。国宝・重要文化財

掲載した絵は、国立文化財機構所蔵


0 件のコメント:

コメントを投稿

注: コメントを投稿できるのは、このブログのメンバーだけです。

ヒゲを当たる

 「ヒゲを剃る」ことを「ヒゲを当たる」ともいいます。