西洋理髪を日本で最初に行った日本人として、小倉虎吉、原徳之助、松本定吉、竹原五郎吉の4人が知られています。
彼らは幕末に横浜に寄港した外国船で船内の理髪店で西洋理髪の技術を修得しました。
ほぼ同時期に、大阪でも当時の外国人居留地があった川口(大阪市西区川口町)で西洋理髪を学んだ人がいます。天保17年生まれの石川伊三郎さんです。
石川さんは川口の英吉利28番館で西洋理髪の基本を学び、外人屋敷に出入りし、理髪の技を覚えたといいます。富裕な外国人は理髪師を自宅によんで調髪することが多く、石川さんは仕事をしながら覚えたのでしょう。石川さんはその後、心斎橋筋の鰻谷に理髪の店を構えます。
石川さんのほかに、東区大渉橋西詰南側の小笠原熊五郎さん、本町東詰の玉床が早くから西洋理髪の仕事をしていたといいます。小笠原さん、玉床さんの技術習得の経緯は不詳ですが、そおらく居留地で覚えたのでしょう。
明治元年に石川さんが中心に理髪の組合仲間を結んで、石川さんが取締役になります。石川さんは西洋理髪が普及することを見越して、髪結床の人たちに新らしい技術の習得を奨励したといいます。
日本の西洋理髪の黎明期、東では小倉虎吉、原徳之助、松本定吉、竹原五郎吉の4人、西では石川伊三郎、小笠原熊五郎、玉床の3人が先駆的なリーダーでした。
*参考文献:『日本結髪全史』(江馬務)、大阪府理容組合ホームページ「大阪理容業界の歴史」
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