2021-09-18

縄文人は黒曜石で髪を削いでいた

 縄文時代後期の髪型は土偶などでイメージできますが、それ以前の時代については手がかりがありません。どんな道具を使っていたのかで、おおよその見当をつける程度です。


植物の蔓や繊維などで編んだ紐を使って髪を束ねて、まとめていたのは想像できますし、また植物の枝や棒状の形をした動物の骨などに髪を巻いて止めていた可能性は高い。後の笄髷の原型といえます。縄文時代後期の土偶や、古墳時代の埴輪などから棒状のものに髪を巻きつけて固定してたのは推測できます。


旧石器時代や縄文時代初期のころまでは、髪は伸ばし放題だったのだろうと思われますが、いつごろから髪を切るようになったのでしょうか? 

髪を切るには道具が必要です。

東日本では黒曜石、西日本ではサヌカイトといわれる安山岩で髪を切っていた可能性があります。切るといいより、テーパリングのように毛束に刃を滑らせ、削いでいたのだと思います。

黒曜石は、「信州の霧ヶ峰から八ヶ岳の一帯、北海道の白滝・十勝・赤井川、伊豆、隠岐、九州の腰岳・姫島などで、火山国日本を代表する良質な黒曜石が産出する」(文化庁・文化遺産オンライン)とあり、しかも縄文時代中ごろには各地に流通していたのがわかっています。サヌカイトは四国の讃岐地方で多く産出したといいます。


この黒曜石、割り方にコツがいるのですが、縄文人は薄いカケラの剝片を取り出し、さらに鹿角で叩き割り形を作る技術があったといいます。加工に長けた職人がいたようです。その切れ味は髪を切るのに十分だったと推測できます。サヌカイトも同様だったと思います。


日本では5千年から6千年前には髪を切る(削ぐ)技術があり、思い通りの長さに削ぎ切りして、髪を結うか笄で止めていた、と想像しています。


写真は、国指定文化財等データベースより


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