2021-08-03

パーマネントはやめませう

 戦時中の日本を舞台にしたドラマやドキュメンタリー映像を見ると、国民は生活を切り詰め、国のためにさまざまな奉仕活動を行い、貧しい生活が当たり前にように描かれています。


奢侈禁止の運動のひとつとして、「贅沢は敵だ」とともに「パーマネントはやめませう」という標語が紹介されることが多い。女性も銃後を守るのに懸命で、女子挺身隊や報国隊に参加して国のために全力で尽くしていました。戦争中は多くの国民は我慢しながら生活したのは事実だと思います。


戦後になって、美容業界の人から当時の話を聞くと、美容師さんはパーマネントをかけにくる客がたくさんいたことを話されます。当時はパーマネント(電髪)に代わって、木炭パーマでかけていましたが、配給品の木炭を隠し持った女性が順番待ちの列を作っていたといいます。


半信半疑で聞いていましたが、同様の話をされる美容師さんは多くいて、「パーマネントはやめませう」は標語倒れだったのかと感じつつも、実際のところはどうなのだろうと疑問を思っていました。


女性の髪型は、服飾、化粧などとも関係が深い。髪型だけが独り歩きして洋風化することは考えられません。当時の服飾、化粧を調べてみると、日本人女性の洋装化が起こっていたのがうかがえます。


洋裁学校への入学者が急増しているし、化粧は高級化粧品の製造販売は禁止されましたが、普及品の売上は上昇しています。化粧もこの時期に白粉をベースにした伝統的な化粧から洋風の肌色(当時は肉色といった)へと変わり、またこれまでなかったアイメークをする女性も増えています。


男性の洋装化は明治政府が後押ししてすすめましたが、女性の洋装化は男性とは全く違います。

戦争により女子が動員され、作業現場では洋装のほうが機能的だったのが背景にありますが、そのほかにも大正モダニズムのモダンガールの影響、洋画の女優の影響、さらには化学工業の発展などが複合して洋装化がすすんでいったのだと思われます。しかしなんといっても、女性の美にたいする欲求、おしゃれの願望があったから、と考えられます。


国家存亡の危機のなか、すべての女性ではないにしろ一部の女性は自分の身を飾ることに懸命だったのは間違いありません。そんな女性がいたことも記憶しておきたい。

そして戦後、洋装化、とくにアメリカナイズは一気にすすみます。


やはり戦後、徴兵逃れを得意気に語るおじさんがいましたが、こんなおじさんに比べたらパーマネントをこっそりかけた女性はまだ許せます。


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