2021-08-21

髪結賃は、24文、28文、32文?

 江戸のガイド本には、よく髪結賃は24文から32文と書いてあります。間違いではありませんが、正しくもありません。

佐渡では16文という記録が残っています。ところ違えば値段も違います。

江戸時代といっても260余年あり、当然時代によっても値段は違います。


髪結は、もともとは一銭剃りといわれた職業で、月代を一銭で剃っていた仕事です。一般庶民を相手にした仕事として興った戦国時代末から江戸時代初期は一銭だったのだと思います。


24文になったのは、明和5年に四文銭が鋳造されて以降かもしれません。なぜ5文ではなく4文だったのかはわかりませんが、4文銭は庶民に支持され広く流通しました。4文銭が広く使われるようになって、それまで1串5個で5銭で売っていた串団子が4個になったのは有名な話です。いまも串団子は1串4個が多い。


4文銭が広く流通したことで、多くの物やサービスの値段が4の倍数になったと考えられます。そばといえば16文で、二八そばからきているという説もありますが、4の倍数説も有力です。髪結賃は24文、28文、32文と値段が上がっていったといいますが、やはり4の倍数です。明和のころは24文、そして天保のころは28文、幕末になると32文なったと推察します。

4文銭の威力は、庶民生活に密着したものの値段に大きな影響を与えたのだと思います。


話は変わりますが、江戸の貨幣価値を現在の貨幣に換算する目安ととして、1両10万円説があります。算出する方法として、江戸時代の価格と現在の価格を比べて、貨幣価値を推測することがあります。米価やソバの値段で比べられることが多い。たまに当時の髪結賃といまの理髪料が引き合いに出して計算する人もいます。


ところが、当時の髪結賃といまの理髪料では前提となる利用頻度が違います。髪結は髷を結うのと同時に月代剃りをします。月代剃りは2、3日に一度、髪結床に通って剃ってもらいます。理髪は月に1度か2月に一度理容店に行く程度です。


二、三日に一度通うとなると、いまの感覚でいうとワンコイン程度の料金でなければ庶民は通いきれません。1銭20円ほどと考えれば貧乏人の江戸っ子でも髪結床に通い続けられそうです。


江戸時代は、金、銀、銭の三価制で、交換比率の相場は時代とともに変動します。こうなると、当時の貨幣価値をいまに換算するのは難しい。あくまでも、大雑把な話になってしまいます。


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