2021-05-05

明治11年、新橋界隈の髪型

 明治11年5月21日に横浜に到着したイザベラ・バード女子は同月24日、英国駐日大使のハリー・パークス卿を尋ねます。数年前に開通した鉄道に乗車して、新橋に降り立った女子はそこで目にした髪型を記します。


…女性の髪は全部うしろに引き、まげに結ってあります。男性は、頭の前部を剃り、後頭部の髪を古風なまげに結って剃った部分に傾けているか、そうでない場合は硬い髪を三インチの長さに伸ばし、分け目のないぼさぼさの頭にしています。…


明治11年の新橋界隈を行き来する人の髪型は、女性は日本髪、男性は髷とザンギリなのがわかります。

明治4年に断髪令が出されましたが、断髪はなかなか進まず、明治20年ごろになってようやく断髪が根付いたといいます。明治6年3月に明治天皇が断髪したのが契機になって、断髪する男性が増えたといわれていますが、明治11年の新橋界隈は髷とザンギリが入り混じっていたのがこの一文からうかがえます。その比率はわかりませんが、髷姿の男性が少なくなかったようです。

新橋は当時の先進地です。地方や田園地帯では断髪している男性は少数だったのが想像できます。


『イザベラ・バードの日本紀行』第三信より(講談社、上巻56P)


参考・『イザベラ・バードの日本紀行』


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