2021-04-27

緊急事態宣言と戦時体制 日本人の行動は似ている

 2021年4月25日から三回目の緊急事態宣言。昨年の宣言のときとは違って協力しない人も少なくないようです。

そういえば戦時体制下、「パーマネントはやめましょう」を合言葉に奢侈的な生活を戒める国民的運動がありましたが、実際はパーマをかける女性は大勢いました。電力は制限されて電気パーマネント、いわゆる電髪はできませんでしたが、それにかわり木炭を熱源にしてパーマネントをかけました。



当時のパーマ業界も電気から木炭へと機械を改良して対応するなど努力しました。女性も統制品の木炭をせっせと節約して、美容院に持ち込みました。パーマネント機は金属供出で、本来はなくなっていたはずですが、自主回収を任された業界団体の人たちは、お目こぼしをしていたのです。


パーマ業界が国の運動に反旗を翻していたわけではありません。戦時体制に協力する姿勢を示し、町を歩く女性の髪型をチェックして華美な髪型をしている女性に注意する役割を買ってでていました。その一方で、淑髪なる華美でないパーマヘアの髪型を提案するなどして、国にへつらいながらも業の存続をはかったのでした。


木炭パーマをかける美容院は限らていて、女性たちは早朝から列をなして順番を待っていたのが、当時の新聞などで伝えれれています。

戦時体制下、全国民が国の方針に素直に従ったわけではありません。木炭パーマは、防空壕のなかでかけた話もあり、女性のおしゃれに対する願望は国家存亡の戦争遂行よりも強かったようです。


パーマをかけている美容院の前に子供たちが集まって、「パーマネントはやめましょう」と叫んでいという話が伝わっています。実際あった話です。

昭和の末の話になりますが、ある美容業界の宴席で隣席した老婦人の美容師さんは当時のことを振り返り「近所の髪結さんの子供が先導して、いやがらせをしていたんですよ」とおっしゃっていました。真実は確かめようもありませんが、当時は結髪から断髪の西洋美容へと推移する過渡期で、稼業を守るために子供にいやがらせをさせたのは考えられる話です。


昭和20年3月の東京大空襲で被災した美容師さんが疎開地にいくと、パーマをかける先生が来たと、その地の女性たちに歓迎され、木炭パーマをかけたといいます。

戦時体制下、全国民が一体となって戦争遂行にまい進したように語られることが多いのですが、実際は少し違うようです。


いまの新型コロナ感染のご時世も、70年前の国家存亡のご時世も、日本人の行動パターンはあまり変わらないのかもしれません。


*写真は、昭和10年代の電髪機。木炭パーマネント機ではありません。

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