2026-09-11

髪結、女髪結の「見立て番付」はないけれど、、

 江戸時代後期、文化・文政期以降になると、相撲の番付を模してさまざまな商売や名物を序列化する「見立て番付」が大流行しました。

美人や学者、大工の棟梁、遊女といった人物のほか、諸国の温泉、名産品、名酒などが番付に仕立てられ、庶民の暮らしに役立つ情報源として親しまれました。安価で手軽な刷り物であったことも手伝い、当時のメディアとして爆発的な広がりを見せたといわれています。


この見立て番付が隆盛を極める以前、江戸時代中期には「評判記」というジャンルが流行していました。こちらは対象のランク付けに加え、簡単な注釈を加えたものであり、もともとは歌舞伎役者に対する評価から端を発したものです。その評価基準は緻密を極め、立役、敵役、若女形、若衆、子役といった役どころを基本としつつ、ランク自体も「上上上」「上上」「上」といった段階に留まりません。さらに上位として「極上上上」や「上上吉」が設けられ、吉の字を袋文字にしたり、一部をあえて欠けさせたりするなど、極めて細分化された表現が用いられていました。


大関、関脇、小結、前頭といったシンプルで分かりやすい構造を持つ見立て番付に対し、評判記は複雑怪奇とも言える精緻さを誇っており、歴史的な流れとしては、この複雑な評判記が簡略化される形で、のちに見立て番付が生まれたと捉えることができます。


もっとも、評判記や見立て番付の双方が、多彩な職業や名産、人物を対象としてきた一方で、髪結業そのものに特化した番付は、現在のところ確認されていません。これは単に筆者の調査不足によるものかもしれませんが、あるいは将来的に新たな歴史的史料として発見されるロマンを秘めているとも言えます。


髪結や、女性の髪を結い上げる女髪結を直接取り上げた番付こそ見当たらないものの、髪にまつわる化粧品や商いに関する記載は、いくつかの文献に散見されます。


その一例が、江戸時代中期、安永の頃に版行された『江戸自慢評判記』です。当時はまだ江戸において女髪結が広く活躍する以前の時代であり、この書面からは、江戸が経済的・文化的な面で上方(京都や大坂)を凌駕しつつあるという、時代の気概と自負が全編に満ちあふれています。


同書の中では、当時の名だたる商いや店主たちが歌舞伎の役に置き換えられて紹介されています。白粉を商う「下村白山」は「立役・上上吉」、歯磨きや大明香を扱う「丁子屋喜右衛門」は「敵役・上上吉」、唐櫛を商う「二十三屋源兵衛」は「敵役・上上」、同じく歯磨きを扱う「めうがや門次郎」および「兼康佑げん」はそれぞれ「敵役・一上上」「外道・上上吉」、そして伽羅の油を扱う「五十嵐次郎兵衛」は「若女形・上上吉」といった具合です。


ちなみに、唐櫛を扱った「二十三屋源兵衛」の屋号は、「唐(トウ=10)櫛(ク=9、シ=4)」という洒落た語呂合わせに由来しています。


さらに興味深いことに、『江戸自慢評判記』において最上位である「立役・極上上吉」の栄誉に浴しているのは、呉服屋の「越後屋八郎右衛門」であり、これは現在の三越百貨店の前身に当たります。これに続くナンバー2として巻末に名を連ねるのが、同じく呉服屋の「白木屋彦次郎」であり、こちらは現在の東急百貨店へと系譜を引いています。


見立て番付の多くは遊女や美人を主な題材としていましたが、江戸後期に至る頃には、庶民の日常生活に欠かせない存在となっていた女髪結や髪結を対象とした番付も、どこかに存在していた可能性は十分に高いと言えるでしょう。

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