江戸に女髪結が出現したのは、江戸時代中期といわれてます。同じころ、「山くじら」の看板を掲げて、猪などの肉料理を提供する店が登場しました。
江戸時代は仏教の教えで肉食は禁止となっていましたが、病気のときなど薬膳の趣旨で肉食が黙認されていました。幕府の威光をはばかって、山のくじらと称する看板にしたようです。実際は、猪や鹿、また穢多の人が処理した牛や馬の肉も扱っていたいう説もあります。
女髪結と「山くじら」の肉料理屋、ほぼ同時期に出現し、出現した当時は高料金でした。女髪結は200文と高額でした。山くじら屋が提供する肉料理も高額だったといわれてます。
女髪結賃はその後100文になり、さらに50文、32文…、江戸時代後期の天保の時代になると24文と下がり続けます。女髪結が増えたからです。それまでは遊女や大店の女将さんが女髪結に結ってもらっていましたが、料金が下がったことで、長屋のおかみも女髪結に頼るようになりました。
一方の「山くじら」屋の料理は料金が下がることはありませんでした。滋養にいいし、なんといっても、おいしい肉料理を楽しむ江戸の人は増えたのですが、材料の肉が需要に追いつかなかったからです。
そのへんの状況について、寺門静軒さんは『江戸繁盛記』に腹立ちまぎれに紹介しています。女が髪結に任せるのはけしからん!
寺門さんが怒るほど、女髪結に結ってもらう女性が多かった、といえます。
料金は需要と供給のバランスで決まります。
いつの時代も、いまの令和の時代も供給過剰の理美容市場です。
*絵は、歌川広重「名所江戸百景 びくにばし雪中」
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