2024-12-15

「髪結の亭主」とは違う「髪亭」(かみてい)

 「髪結の亭主」といえばヒモのことですが、昭和の時代に存在した「髪亭」(かみてい)はヒモではありません。

昭和の時代、美容室は儲かった。女房の稼ぎに比べ見劣るする自分の仕事が馬鹿らしくなって会社を辞めて女房に食べさせてもらっている亭主のことを美容業界(とくにジャーナル仲間)で通称「髪亭」と呼んでいました。


仕事を辞めた髪亭には、ありあまるほどの時間があります。一日中をぶらぶらして過ごしてもいいのですが、稽古ごとに熱中したり、パチンコ三昧、ゴルフ三昧、釣り三昧と趣味を楽しむ髪亭もいました。それでも余った時間に店の清掃など下働きをしたり、経理や事務を手伝う人もいました。


「髪結の亭主」というと女髪結を支配して貢がせるヒモですが、髪亭は女髪結に食べさせてもらっている良くいえば食客、早い話、居そうろうです。世間的には軽く見られても、なんとも羨ましい存在なのが髪亭でした。


何人かの髪亭と新年会や何かの懇親会の折にご一緒することがあり、いろいろなお話をさせてもらいました。前述のゴルフ三昧、釣り三昧の人もいましたし、スポーツクラブで指導に励んでいる人もいました。

新年会や懇親会へは経営者である女房の代理として出席するのですが、酒宴が好きで自ら望んで来る髪亭もいれば、しぶしぶ参加する髪亭もいました。

人生いろいろなのですが、食べる心配、食べさせる心配がない髪亭はやはりどこか羨ましい存在でした。


平成の時代も中ごろになると、美容室経営の女房と会社勤めの亭主という夫婦共稼ぎは普通にいましたが、女房の稼ぎに頼って遊興三昧に過ごしている亭主はみあたりません。昭和の時代ほど美容室は儲からなくなったからでしょう。

戦後の昭和の時代は何といっても高付加価値のパーマネントの需要が旺盛でした。美容室といえばパーマ屋さんというくらい、お客の大半はパーマをかけに来店したものです。いまでもパーマネントはありますが需要は激減しています。だいいち昭和の時代に比べ美容室が増えすぎました。


それと昭和の時代は、見習いやインターンなど安い賃金で喜んで働いてくれる従業員が集まりました。昭和の時代の美容室は社会保険とはほぼ無縁の商売でした。せいぜい健康保険、失業保険に入るくらいでした。それも安い給料のなかから従業員がやりくりして自ら払っていました。

美容室の経営者は儲かった。


令和の時代、若い人は社会保険のない美容室への就職を避けます。個人経営の小規模美容室で社会保険に加入するのは金銭的にも事務手続きの面でも大きな負担です。一人もしくは家族経営の美容室は増えましたが、以前のようには儲かりません。

そして世の男性にとって羨ましい存在だった髪亭は姿を消しました。

これも時代の流れというものです。


髪亭に関しては、以前にも記述していました

https://kamiyoroku.blogspot.com/2021/07/blog-post.html


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明治初期 無店舗営業に移行した女髪結

 令和になって自前の店を持たずに仕事をする理美容師が増えています。フリーランスの理美容師として、シェアサロンを活用したり、業務を受託したり、施設などへの出張理美容を専門にしている人もいます。