2024-09-24

白髪部

 『日本書紀』に白髪部という言葉がでてきます。古代日本における氏姓(うじ・かばね)の制度に関連する言葉らしい。

日本語の発音を漢字にあてた万葉かなに近い表記で、白い髪の毛を表す白髪とは関係ありません。


「二年の春二月(きさらぎ)に、天皇(すめらみこと)、子(みこ)無きことを恨みたまひて、乃(すなは)ち大伴室屋大連(おほとものむろやのおほむらじ)を諸国(くにぐに)に遣して、白髪部舎人(しらかべのとねり)・白髪部膳夫(しらかべのかしはで)・白髪部靫負(しらかべのゆげひ)を置く」(『日本書紀』巻第十五)。


白髪部は天皇(当時は王)やその子に仕える役で、舎人、膳夫、靫負の仕事をする人を諸国から動員したと書いてあります。舎人は近侍し護衛、身の回りの世話をします。膳夫は食事の用意をします。靫負は武具を携えます。彼らは各地から動員されたようで、白髪部という氏姓は各地にあるそうです。白髪部はその仕組み、制度も含んだ言葉のようです。

白髪部は古墳時代から飛鳥時代にあった言葉ですが、大化の改新で国の制度が変更されるとともに白髪部の制度はなくなりました。


『日本書紀』巻第ニ十五には、白髪部連鐙(しらかべ の あたい あぶみ)という名がみられ、白髪部を名乗った人がいるのがわかります。しかし白髪部姓は光仁天皇(49代天皇)の諱が「白壁」で同音だったため、姓を改めて「真髪部(真壁)」としました(『続日本紀』巻第三十八)。


ちなみに、白髪部、真髪部、真壁を「名字由来net」で調べたら、真壁さんは全国で1万人ほどいるようですが、白髪部さん、真髪部さんは「-」でした。白髪さんは全国で880人ほどいらっしゃる。

白髪さんは白髪部に由来する名字かもしれません。


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