2024-08-14

唐櫛屋は二十三屋

 数のごろ合わせで、櫛屋を十三屋ともいいます。クシ(9+4=13)からきています。苦・死につながる忌み言葉を避けて、じゅうさんや、と呼ぶようになったようです。

二十三屋というのもあります。10・5・8から床屋と理解するのは早とちりです。二十三屋も櫛屋です。二十三屋は、唐櫛(とうくし)に由来します。10・9・4です。


江戸時代には二十三屋という唐櫛屋がありました。

唐櫛というのは舶来品で、当時の高級品でした。竹の歯で作った目の細かい梳き櫛で、背や胴、肩は象牙やべっ甲で作ったものもあったといいます。二十三屋は高級櫛店の代名詞でした。にじゅうさんやと呼びます。

二十三屋を「はたみや」と読ませる別の業種もあります。


『武江年表』(斎藤月岑、今井金吾校訂、ちくま学芸文庫)文政年間に二十三屋の記述があります。

「和国橋のほとり、新材木町に二十三屋といへる櫛やあり。いつの頃よりか、唐櫛といふ物を作りて商ひ始める。十九四という字謎(じめい)にて、合すれば二十三となる故、二十三屋とよびける。この家、久しく相続しけるが、文政にいたり絶たり」


「久しく相続」が何代ぐらい継承されたのかは不明ですが、18世紀前期の享保のころには櫛を作っていたかもしれません。

『武江年表』は、この二十三屋が絶えた理由について、喜多村信節(『嬉遊笑覧』の著者)が追補しています。絶えた理由がここでは紹介しませんがユニークです。


十三屋、二十三屋は江戸だけでなく、当時の文化の先進地だった京にもあったようです。

令和のいまでも京都には十三屋がありますし、東京・上野にもあります。いずれもつげ櫛専門店です。

また二十三屋は京都にあります。和櫛の伝統は21世紀も続いています。

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