江戸城の無血開城は、明治維新史のなかでも有名なできごとです。彰義隊などの反乱はあったものの大きな混乱はなく、新時代を迎えることができた、維新史の偉業の一つとして語られることが多い。
しかしこれは政治史、軍事史の話であって、江戸府中の市民は徳川幕府から明治の新政府に移行する際に相当混乱しました。それまでの町内自治はしばらく継続されていましたが、実際には強盗や押し込みなどが横行したようです。
『幕末明治女百話』(篠田鉱造・著)に「御維新の御金の隠し場所」の見出しで、次の一文があります。
「明治の初年、物騒だったらなかったんです。全くお話になりません。辻斬りや強盗の外に、ちょっくら持ちや昼鳶(ひるとんび)の多かったこと、油断も隙もならなくなって…」
「ちょっくら持ち」は置き引き、昼鳶は空き巣狙い、といった類の窃盗です。
そこで、親から貰った30両ほどを持った御新造(花嫁)さんがその金の隠しどころに困った。隠し場所として、壺に金を入れ、縁の下に埋めることなどいくつかの例をあげていますが、心配性の御新造は女髪結に頼んで、丸髷の芯へ縫い込んで、頭のてっぺんに隠すことを思いつきます。
丸髷の芯とは、髷の土台で小枕が知られていますが、それの代用として金を中に入れて縫い込み、髷の芯にして結ったようです。これなら安心です。御新造、大喜びで、女髪結に礼を言って帰っていった。
ところが。
翌朝、髷を壊した御新造が女髪結のもとにやってきます。聞くと、頭が重すぎて、「義理にも我慢ができず、壊してしまった」。
「あんなおかしいことはなかったんですが、おかしいどころじゃなくって、しんけんにお金の隠し場所に困ったのが明治の初めでした」と結んでいます。
この話、母親が女髪結だった女性に篠田さんが聞き書きしたものですが、明治初年の江戸の混乱ぶりがうかがえます。
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