2023-12-11

髪結株の取得は難しかった髪結

 しながわデジタルアーカイブ

東海道一番目の宿場である品川宿の一つ徒歩新宿(かちしんしゅく)は、髪結床が自身番を兼ねる髪結床番屋だったことを前回紹介しました。

床番人として番銭(報酬)も得られる兼業でした。


「しながわデジタルアーカイブ」は番銭について記述したあと、歩行新宿の髪結株の動勢についても紹介しています。一丁から三丁までの三町があった徒歩新宿には、3人の床番人がいて、髪結の仕事をしていました。


以下は、「しながわデジタルアーカイブ」の記載より。

「歩行新宿の髪結株が成立したのは、明和七年(一七七〇)五月のことで、三人の床番人が宿助成の冥加金を差し出すかわりに、株式にしてほしいと願い出たのである。」


髪結株については、享保の改革で認められましたが、徒歩新宿では三人の床番人が明和七年(一七七〇)五月に願い出て株が成立したのがわかります。三人の床番人は髪結床の親方であるのは間違いないでしょう。


髪結株にして株を所有すれば町内の仕事を独占できます。株を持っていない人はその町で髪結床を開くことはできません。これは髪結株に限ったことではありませんが、享保の改革でいろいろな仕事、渡世に株が認められました。

髪結株を所有すれば髪結床を子息、子弟ら身内の者に譲ることができ、代々髪結床の経営ができます。


徒歩新宿の場合は自身番を兼ねた髪結床番屋になりますが、自身番の番銭は少なく同じ町内に競争相手の髪結床ができたのではたまらない、と危惧して株式化を願い出たのかもしれません。とにかく明和七年に髪結の願いから株が成立したのです。


問題は株の値段です。続けて

「一丁目は九〇両、二丁目・三丁目は入会稼ぎの場所のため二ヵ所で二二〇両の株と定められ(上り高に応じて額をきめたのである。一丁目の上り高は月一一貫文、二丁目・三丁の上り高は合わせて月二八貫文であった。)、冥加金は株の金額の半分とされ一〇ヵ年賦で納めるよう命ぜられた。一丁目は四五両で一年に四両二分、二丁目・三丁目は一一〇両で一一両ずつ納付することになった。株証文は年季皆納まで名主方へ預かりとなった。」


株の値段は、髪結床の収入の多寡によって決められたのがわかります。「二丁目・三丁目は入会稼ぎの場所」とありますが、入会稼ぎは「旅人など人通りの多い場所」といった意味だと思います。客も多く髪結床の上り高(売上)も多く、一丁目より高い値段に設定されたようです。実際の1月当たりの上り高がカッコ内に記述されています。


冥加金は税の一種として理解して差し支えありません。株の額面の半額を冥加金として宿(名主)に差し出すことになり、分納方法まで書いてあります。10年の分納です。


全額収められるまで株証文は名主が預かり、全納後に株証文を三人の髪結に渡す約束でした。


以上、株の値段の決め方、株価の半額の冥加金、分納方法と期間などがわかりますが、道中奉行配下の徒歩新宿独自の方式なのか、江戸府内の町奉行でも同様だったのかは不明です。名主によって多少の違いあるかもしれませんが、大きな違いはないように思われます。


髪結株の値段、取得までを決めましたが、冥加金の負担は3人の髪結にとって大きかったようです。

髪結株を取り決めたものの早々に冥加金納めは滞ります。「しながわデジタルアーカイブ」は続けます。

「冥加金は同年閏六月から納めたが滞りがちで一丁目は四年後の安永三年(一七七四)九月までに、七両一分五九二文を納めたにすぎず、一二両二分一〇四文の不足となっており(資三一一号)二丁目・三丁目は、明和七年から二一年後の寛政三年(一七九一)十二月にいたっても完納できず、二丁目は四四両一分を納め、不足金は一〇両三分、三丁目は四七両三分を納め、不足金が七両二朱という状況であった。当初、完納したあかつきは、永代冥加金を一ヵ年一ヵ所につき二分ずつ納めることになっていたが、けっきょく「宿方勘弁をもって」免除されている。」


一丁目は4年で、二丁目と三丁目は21年経っても完納できず、株証文を受け取ることはできずに終わりました。完済予定の10年後から収めることになっていた年2分の永代冥加金も収めずに許されました。結局、株は髪結の手に渡ることなく名主が預かったままだったようです。


永代冥加金を「一ヵ所につき二分ずつ納める」とあるのは、株の所有者は町内に複数の髪結床、出店を所有することが許されたのがわかります。


江戸府内の髪結株は一町一株の決まりでしたが、髪結株のない町がある一方、町内に複数の髪結床を出す髪結株の株主もいました。


*江戸時代の貨幣

1両=4分=16朱=4000文

1両=4貫文


1両=おおよそ10万円として換算することが多いのですが、江戸時代前期と後期では価値が違います。

また換算する現在の物によって、1両が4万円から40万円になります(日本銀行金融研究所貨幣博物館)。現在の価格に換算するのはにはあまり意味がありません。



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