前回掲載した『一銭職分由緒書』(一銭職由緒書ともいう)の最後に下の一文があります。
前書之趣に付、諸國諸武家落人百名以上之面々、虚無僧と一錢職分に相成、忍渡世にて先君へ召通し可相待者也以上。
諸国には浪人した武家が百名以上おり、彼らは虚無僧と一銭職になり、世を忍び渡世していますが、再び召されるのを待つ身の者です
といった意味に理解できます。
『一銭職分由緒書』で、髪結職の祖である藤原采女亮政之(ふじわらうねめのすけまさゆき)が北面の武士であったことを踏まえての追記と思われ、髪結職を浪人した武士として扱ってほしい、という願いが込められています。
僧衣をまとい天蓋という深い編み笠を被り、尺八を吹いて喜捨を受けながら各地を回っていたのが虚無僧です。中国伝来の禅宗の一つ、普化宗の僧侶とされ、徳川家康によって与えられた(とされる)『慶長之掟書』という御定書が伝わっています。
一、虚無僧之儀者勇者浪人一時之隠家不入守護之宗門依而天下家臣諸士之席可定置之条可得其意事。
一、虚無僧諸国取立之儀者諸士之外一向坊主百姓町人下賎之者不可取立事。
意訳すると
一、虚無僧は武士が浪人したときの「隠れ家」なので、守護が立ち入ることも租税をかけることも許されない
一、虚無僧になれるのは武士に限り、一向坊主、百姓、町人、下賎の者を虚無僧にしてはいけない。
といった内容になります。
『一銭職分由緒書』は享保、『慶長之掟書』は慶長と作成された年代は違いますが、ともに偽書です。
『慶長之掟書』は箇条書になっています。ここでは二条を紹介しましたが、十一条のものや二十条を超えるものも伝わっています。
写本なので写し違いはあります。『一銭職分由緒書』も写本によって字句の違いがあります。単なる写し間違いの類ですが、『慶長之掟書』は条数が違ったり、内容も違うものがあったりと大混乱です。
虚無僧は普化宗の一月寺、鈴法寺の両寺が統括していましたが、各地にある虚無僧寺に『慶長之掟書』の写しを与えるうちに、間違ったのかもしれない、という説(『江戸の貧民』(文春新書、塩見鮮一郎)もあります。
江戸時代、職業や身分にまつわり公儀に出した書は、その内容が眉唾で偽書とされるものが多数、創作されました。
【一銭職由緒書】
https://kamiyoroku.blogspot.com/2023/11/blog-post_30.html
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