2023-10-22

タイマイとべっ甲、言葉は世に連れ

 「タコおやじ」「タコ社長」など、言葉としてのタコにはいい意味はありません。不始末をやらかすと「このタコ野郎」と罵られる。

『広辞苑』で調べてみると、生物学的な説明が中心で、悪い意味での説明はありません。「タコおやじ」「タコ社長」は、限定的な言葉なのかもしれません。しかし広く使われているような気がします。


『幕末の江戸風俗』(塚原渋柿園・著、菊地眞一・編、岩波文庫)に、幕末の幕臣の使った言葉として「タコの者」が紹介されています。

幕臣は将軍にお目見えできる旗本と、お目見え以下の御家人とに大きく分けられます。旗本が御家人を「以下の者」と呼んだといいます。「以下の者」と呼ばれて面白くなかった御家人が「以下の者」=「イカの者」に対抗して、旗本を「タコの者」と呼んだと紹介しています。旗本の無能さを表現し、逆に蔑んだようです。


幕末の幕臣というごく限られた世界ですが、すでに「タコ」は悪い意味で使われていたのがわかります。


タコ・イカ話で思い起こされるが、「イカ流し」と「凧揚げ」です。いまは凧揚げが使われていますが、江戸時代は「イカ流し」と呼んでいたといいます。飛ばしていた「イカ流し」がたびたび大名行列に落ちるので、「イカ流し」が禁止されました。しかし、庶民は「凧揚げ」と言い換えて続けました。


武家は「イカ流し」を止めるように命じるのですが、庶民は「これはタコ揚げでイカ流しとは違う」と言い張って続けたといいます。

江戸時代も初期のころは無礼に対して切り捨てご免もあったといいますが、中期になると武士は町民や農民を斬ることをしません。もし斬ったりしたら藩主に迷惑がかかるし自分の家の存続も危ぶまれます。

武士も保身に余念がありません。そんな武士を庶民はおちょくっていたのかもしれません。


同じような話が、タイマイとべっ甲です。いまではべっ甲が広く使われていますが、江戸時代はタイマイでした。タイマイは海亀の甲羅から作った笄や櫛で高価な貴重品でした。財政難に苦しむ幕府は庶民の奢侈を禁じ、タイマイ製の笄や櫛の製造販売、使用を禁止しました。


そこで、庶民はタイマイを鼈甲と言い張って使ったのです。べっ甲はもともとは池などにいる亀の甲羅のことでタイマイほど価値はありません。

「これこれタイマイの笄はいかん」と命じる侍に「ない言ってんだ!これはべっ甲だ。そんなこともわからんのか、このタコ侍」といったかどうかはわかりませんが、武家を軽く見る庶民でした。


最初のタコの話に戻りますが、関西では「嫌な男性、不細工な男性などを罵って言うことば。」として使われているらしい(『日本俗語大辞典』 米川明彦/編 東京堂出版)。

またタコの見た目から、タコ坊主、タコ入道などもありあます。さらに、ゴルフで1ホールで8打する人を「タコ」、10打する人を「イカ」と呼ぶ、という昭和の説もあるそうです。


言葉は世に連れ、です。


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